団員の声(感想文)
『歴史とは虚飾、捏造、歪曲されない真実を後世に伝えていくもの』それが親善友好の絆となる
名誉顧問 永石辰郎
日華(台)親善友好慰霊訪問の旅に参加したのは、旧陸軍学校の親しい同期生の日高誠君の勧誘があり、訪問団の目的や現地における行事内容の概要を聴取し、旧軍人として、また旧同胞としての思いから平成22年から今回まで3回連続で慰霊団の一員として参加してきた。
日本の領有時代の同国に対する施政結果が、今日なおどのような成果が生きつづけているか、また先の大戦で台湾の同胞の戦病死者約3万3千名とも知るに及び、そのことに対する国民感情はいかなるものであろうかという2点が私自身の関心事でもあった。前年の感想記事にも記述したが「百聞は一見に如かず」という言葉があるとおり、現地に足を踏み入れてはじめて現状の実態や民心の動向が実感として捉えられ、回を重ねていく度にその想いは深みを増していく。
ご参加の皆様が等しくご承知のとおり、台湾は明治27年~28年の日清戦争の勝利により日本の領有統治となったが、明治以来終戦まで台湾に対する内政は日本内地並という基本方針のもとに50年間続けられ、教育、インフラ、医療、産業のあらゆる分野に亘って開発が行われ、この為、民生の安定、民度の向上は勿論、物心両面に亘り充実発展を見た。李登輝元総統の言であるが『よく指摘される台湾人の「日本精神」ですが、これも台湾精神の重要な一つだと言わなければなりません。これは日本の統治時代に台湾人が学び、ある意味では純粋培養されたとも言える勇気、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、遵法はおそらく中国から来た統治者たちが持たないところの、台湾人の近代的国民としてのこれらの素養、気質を台湾人自ら誇りを以って「日本精神」として台湾に根付いた…』
このような言葉を知るにつけ、日本精神、特に国家観は、台湾に生き続け台湾住民の誇りとして根づいていることが実感されます。これこそ「私は私でない私」という「公」優先から出た指導理念でもありましょう。
さて昨年の訪台で特にわが心を打ったことは、11月25日の台中の禅寺宝覚寺慰霊祭である。境内に李登輝元総統の書による「霊安故郷」の碑文の慰霊碑がある。当日台湾の台日海交会による例祭と私達一行の例祭が一緒になり、海交会所属の例祭が先に執行された。例祭には祭文が読まれるが、当日は元従軍看護婦だった劉張蕊さんが原稿なしで、然も日本語で御霊に語りかけるように捧げられた。当時戦病死された台湾の方々は日本人というわが同胞であったことから、命がけで日本語での祭文を捧げられたことと思う。後方には日本から来た観光客も沢山参列してたが、感動のあまり等しく涙していた。日本語で祭文を捧げられたことを中国はモニターしていたとも考えられるが、そのことも怖れをなすこともなく、正に生命をかけた勇気には頭が下がり、今日に至るまで感動の余韻はつきない。
本年も慰霊の各地で現地の方々と慰霊祭が行われ、最初は台湾の南の高雄の保安堂での例祭でしたが、昨年は建築中であったが、松俵さんの心からの私財を投ぜられた堂々たる龍柱2本も加わり異彩を放っていた。
いづれの慰霊地でも地元の方々による心のこもった歓迎の宴と直会が行われ心温まるものであった。このことは日台親善友好の絆の証でもあろう。
また、今年は初めて台南市廰の知事(市長)の頼清徳市長への表敬訪問が行われた。当日の市長の私達一行に対する歓迎のスピーチの内容は見事なもので、結論的に内容を私なりに纏めると正にご本人の本心、良心から発せられた聊かの虚飾や儀礼的なもので無く「日台交流」が益々深化していくことを只管念じておられる内容そのものであった。未だお若く見えた市長さんでしたが、知性と人徳の豊かさが実感させられたひとときでもあった。これも市長のご性格からでたものであろうが、市長の幼い時からの日台関係の教育による歴史認識や、ご家庭の祖父母様やご両親様から受けられたご家庭教育がご本人の心の奥底にひそむ潜在意識の中に刻みこまれている一つの証左ではなかろうか。それに応えられた小菅団長の答礼の内容も市長の日台の友好親善の絆の深化に答えた心からの感謝そのものの内容だった。
また今回は東京から森敬惠女史というプロのソプラノ歌手が初めて参加され、各慰霊地での「君が代」「海ゆかば」の独唱は慰霊行事の雰囲気を一段と高め、また城所女史は若き大和撫子だけに現地の人々との交流の場で「教育勅語」を堂々と暗誦していただいた。加えて帰国最終日、今回2年振りに李登輝元総統の民主協会理事の蔡焜燦さんに再会し、昼食のパーティも催されたが85歳の高齢ながら矍鑠(かくしゃく)たるご壮容に接し、また私の陸軍士官学校の同期生で中国の「汪兆銘」臨時政権時代中国から来日して来た孫海峰(故人)君の夫人孫恵美さんとも再会ができたことは何よりの喜びでもあった。
今回は私が唯一人の戦争経験者ということから、ふつつかながらも名誉顧問の重責も与えられ、その任も十分果たしえなかったのではないかという思いと反省から、ご一行の皆様に対しても深くお詫び申し上げたい。
最後となりましたが、小菅団長の何時もながらのあらゆる面にわたる綿密なご配慮と計画が年を重ねる毎に親善友好の實が発揮され、その精神を汲んで裏方としてお世話頂いた事務局の方々の労に感謝の意を表し筆を措きます。
第14次 団員の声(感想文)全18件
- 『歴史とは虚飾、捏造、歪曲されない真実を後世に伝えていくもの』それが親善友好の絆となる(永石辰郎)
- 台湾との絆・交流を求めて(松俵義博・松俵茂子)
- 日本と台湾の歴史的淵源は深く絆は固い(永田昌巳・永田タマミ)
- 今も心に残る「海ゆかば」(矢ヶ部大輔)
- 懐かしい再会と日本文化の発見(原田泰宏)
- 小さくとも正しき基礎は、その後の発展を約束する(木村秀人)
- アイデンティティを共有した台湾と日本の強い絆(中島公明)
- 台湾教育の事始め―芝山巌事件における六士先生遭難(古賀誠)
- 悲でもなく辛でもない静かな涙で、喉詰まる国歌斉唱(青木繁政)
- 慰霊を中心とし、第一義とする。必要な物は集まってくる(石川秀久)
- 日台の深いつながりには重くて大切な過去がある(桐野隆徳)
- 森先生の「海ゆかば」(新谷章)
- 日本と台湾、生命の絆(中村哲)
- はるか台湾で輝く『警察魂』―義愛公「森川清治郎先輩に捧ぐ」(藤末耕一郎)
- 何とかして日本と日本人を守らなければならない(森敬惠)
- 「海ゆかば」(鎮魂歌)が外交部に響く(中山茂)
- 不思議な糸で引き寄せられる台湾(堂端聖子)
- 御英霊の命が生かされるように(清瀬武子)