団員の声(感想文)

アイデンティティを共有した台湾と日本の強い絆

第二班 班長 中島公明

旅程の最終日、桃園空港…。また現実に引き戻されて仕事に追われる日々、懸案事項が頭をよぎる。気温も低そうだ。鬱陶しい。しかしそれ以上に寒々しく感じるのは、「世界一の反日国家日本」と団長も言及されていたが、日本の現状が重くのしかかるからか…。

「今年も参加してしまった…」。昨年は、大東亜戦争を日本人として戦った台湾人の慰霊を1度は現地で果たしたいとの一心の思いで参加してみたのだが、結果、余りにも心に響くことが多く、日本に居るときよりよほど気分が爽やかであったこと。また昨年と違う場所にも行けるのでないかとの期待、それとこちらの事務局の皆さんの対応がまた素晴らしいこと等から、2度目の参加を決意した。事務局からよく電話連絡が入る。旅が近づくと「体調を壊さないように」から事後の「体調は大丈夫ですか」まで実に細やかな気配りである。道中もこの調子だから、余談だがJTBの添乗員さんも随分助かるかな。よほどの社内教育の賜であろう。「勇将の下弱卒なし」、恐らく小菅団長の日頃の薫陶のなせるものと思われる。男の職員の電話ですら好感を持つくらいだから、これが愛嬌のある黄楷棻女史の電話であれば尚のこと。彼女からの電話もあり、オジサンは二つ返事で参加を決めてしまったが、その黄女史は皆さんご承知の通り途中で台湾に帰ってしまった。うーむ…何とも残念、詐欺だ!(冗談)。団長も慶事ではあるが戦力ダウンを嘆かれたことだろう。ともあれ今回2年続きの参加となった。以下雑感(抄)である。

さて旅である。目的地が異なるため単純比較は出来ないが、昨年の強行軍より移動に要する時間が少なくなって、比較的楽な日程であった。工事中の保安堂も順調に進捗している様子。また昨年放火で被害を受けた飛虎将軍廟もきれいに修復されていた。飛虎将軍廟は昨年も印象深かったが、今回も新たな感動があった。新しくなったリーフレットに第13次訪問団の集合写真が使われていたのだ。有り難い、これで自分もリーフレットに記された縁起とともに歴史に名を、じゃなかった顔を残せるというものだ。

縁起といえば今回、幸運にも、部数が少ない中で地元の安南国民小学校編製による飛虎将軍縁起を頂いた。ページを開く。嗚呼、「何ということでしょう!」、そこには語り継がれるべき飛虎将軍の縁起が小学生向けのアニメで分かりやすく説明してあるではないか。感動あらたである。小学校の教材(?推測)に日本軍及び日本軍人が堂々と登場し、しかも勇戦敢闘、御祭神として祀られるようになった経緯が書いてある。子供達に語り継ごうというその姿勢に感動と感謝の念を禁じ得ない。

東郷平八郎も乃木希典も、軍神第一号の広瀬武夫も橘周太も、はたまた木口小平も一切登場しない日本の教科書、副読本。日教組が見たら多分泡吹いて引っくり返る事必定。日本にも、否、日本にこそこのような副読本が有って然るべきと思う。大東亜戦争という聖戦に身を投じたのは他ならぬ私たちの父祖の日本人であるからだが、日本では不幸にも昭和20年の終戦を境にその前後で意識的に歴史が断絶させられ、価値観が逆転させられている。同じ日本人なら当然なすべき事がなされず、台湾の地ではそれがなされているということである。これから導き出せることは、一つは日本人が正気じゃないということ。二つ目は、台湾人は正気を失う前の日本人の心を持っていて、日本人として共に戦ったことを決して否定的にとらえてはいないということだろう。台南市新化区の小学校には、一時期の排日の嵐から守りぬかれ今もきれいに残されている奉安殿があることからもそれがよく見て取れる。アイデンティティが日本なのだ、但し昔の日本のそれ。

明治28年5月29日北白川宮能久親王麾下の近衛第一旅団が北部澳底に上陸してから、総督が大本営に対して全島平定を報告した11月18日まで約5ヶ月を要していることからも、必ずしも円滑な無血領有ではなかったことが窺える。何事にも光と陰の部分がある。このことも私たちは銘肝しておく必要があると思う。

明治30年3月19日台湾総督府は、台湾住民に対し「台湾住民分限取扱手続」により国籍を自由に選択させた。最終期限の同年5月8日までに日本国籍を選択しないという申出者は総計約4500人で当時の人口280万人の0.16%に過ぎない。1871年フランクフルト平和条約(普仏戦争)でアルザス・ロレーヌの住民で旧国籍を選択した者は10%にも及び、これに比べると台湾住民の定着度は桁違いに高いことがわかる。土着の住民は当然としても、17世紀以降大陸から移り住んだと思われる住民も、化外の地として長らく放置されたせいか、あるいは満州族清朝への反感から多くは既に清国への帰属意識はなく、この時自分の意志で日本国籍を選んだと言えるだろう。その後の教育、衛生の向上等民政に力を注いだ日本の方針、その先兵として使命に燃え、台湾住民に支持され尊敬された教師や、今回の訪問地の富安宮(嘉義県東石郷)に祀られる森川清治郎(義愛公)に代表される巡査(警察官)という主に下級官吏達の身を挺した働きがあったればこそ、今日のアイデンティティを共有した台湾と日本との強い絆が築かれたものと思う。森川清治郎の伝記(義愛公伝)には、感銘を受けた。

最終日、外交部表敬訪問時の蘇啓誠副秘書長の話の中に、「台湾では、ありのままの歴史を教えています。差別があったことも…」と率直に話をされていたことが非常に印象深かった。それでもなお、過日の尖閣近海で台湾漁船及び警護の台湾当局の公船と、日本の巡視船が放水合戦を演じ、未だその記憶が生々しいこの時期に、軍艦旗と日章旗を先頭に列を作った一団を外交部に迎え入れてくれる台湾は、実に懐が深い。外交部内で「海ゆかば」での黙祷…、寛容さには頭が下がる。小菅団長の長年に亘る誠実さが信頼を得ているのがよく分かる瞬間だ。その陰には外交部関係者内部での並々ならぬご尽力が隠されているものと拝察する。

清濁併せ飲み、我が国先達の献身とその努力を理解し、正当に評価して語り継いで下さる台湾の方々に衷心よりの感謝を表したい。

第14次 団員の声(感想文)全18件

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