団員の声(感想文)

日本と台湾、生命の絆

第二班 中島班 中村哲

今年も日華(台)親善友好慰霊訪問団の一員として訪台することが出来た。今回で4年連続の参加であり、台湾一人旅を続けている者としては、ともすればマンネリ化に陥っている自分の気持ちを見抜かれてか神奈川の岩本宣善先輩から「宝覚寺の英霊は毎年同じ気持ちで待っている。靖國神社と同じと考えよ」との教えを受けた。毎年元気に台湾に行くことが出来るのは嬉しい限りで、この為に足腰を鍛え健康に気をつけて来たとも言える。待ってくれている人がいる。

日本人は台湾が世界一の親日国であることは承知している。台湾人の親日を、戦後台湾に逃げてきた中国国民党(外省人)は悪いことをしたが、領台時代の日本人は良いことをした。だから親日と単純に考えてはいけない。それは表面的なものではなく、日本が明治以来育んできた民主主義の文化が染込んでいるからである。日台が民主主義という共通の部分で一致しているのであって、一党独裁の大陸を受けいれることが出来ないのである。日中国交を開始して以来、台湾を大陸の国に押し付けてきた日本政府。台湾は国家としての威厳を保持してきた立派な独立国家である。にもかかわらず、日本政府、行政は今でこそ改善されてはいるが、パスポートの国籍一つとっても台中一体化を画策してきた。このことは、日本の安全保障上にとっても大問題である。

馬英九は香港の活動家の寄港を拒否したことで大陸から弱腰と批判されるや一転して、台湾漁船団の尖閣海域への出港を認めたうえ英雄扱いして来た。馬英九の裏に大陸の陰が見え隠れする。そもそも国民党は台湾国民党ではなく、大陸で結成された中国国民党であることを忘れてはならない。漁民たちへ金をばら撒き漁船の燃料代を支援した旺旺集団の会長は、大陸で大儲けして2008年に大陸の後押しを受け、台湾の新聞社やテレビ局を買収した、中国共産党のコントロール下にある親中派の親玉の1人である。

明治28年、台湾を領有した日本は、欧米のように搾取を目的とした植民地としてみるべきではないと考え、政財界ともに内地延長主義を取ってきた。

『新高の山のふもとの民草の茂りまさると聞くぞうれしき』御製
明治天皇の御心も「一視同仁」とのお考えであった。『福澤諭吉は、台湾経営について「時事新報」に多くの貴重な主張を残している。ここには、彼の思想と言論が凝縮されており、彼の持っていた台湾観と台湾論が明らかに読み取れる。福澤諭吉の考える台湾統治、経営の方法は日本本土の延長としての同化主義であった。』(黄文雄先生著書「台湾は日本人がつくった」参照)

こうしたことから、台湾人が日本人と共に民主主義を学び、自由、平等、博愛の理念を持って国を維持していることが親日の所以であることは間違いない。日台の心の交流、生命の絆が各地で見られることがこれを物語っているのではないだろうか。

今回はキャンセルもありB班を入れて総員38名の参加である。桃園空港到着時は雨であったが、バスに乗り松山空港で東京組と合流してからは天気良好、台北站から高鉄で高雄へ。今回はいたって東京組が元気がよく、日高顧問の千尋会から「なでしこアクション」のメンバー2名が参加。森敬惠先生が各地の慰霊祭(式)で「海ゆかば」を独唱して、厳粛な雰囲気に涙するものが多くいた。また日高氏の名代として参加の城所尚代女史は教育勅語を暗誦するなどとても有意義な旅で、一同大満足で帰国したことであろう。

台北で迎えの黄楷棻女史と合流し、高雄へ。新妻の香りプンプンで溢れんばかりの笑顔に小菅団長の顔もほころんでいたように感じられたのは私だけではあるまい。黄支部長の歓迎会はやはり盛り上がり、黄支部長の弟さんと小菅団長が義兄弟の契りを結ばれたことが披露された。黄女史の嫁ぎ先の東龍宮にはお婿さんが待っており、ここでも大歓迎だ。高雄保安堂は建物はすべて完成していたが周辺の整備はこれからだ。来年夏に御神体の魂を入れ替え、新保安堂に移るとの事、楽しみである。

23日は、台南武徳殿(現在の武道館)や奉安殿(両陛下の御真影や教育勅語を安置していた)を見学し、飛虎将軍廟を参拝した。昨年放火され修復中であったが、すっかり綺麗になっており一同感激。犯人はすでに検挙されているが精神異常者のようである。そして台南市政府表敬訪問では頼清徳市長自ら対応された。市長の話では東日本大震災直後に姉妹都市である仙台に1億円以上の義捐金を送られたこと、飛虎将軍のことを教育教材して採用していること、台南の大学は日本語学科を4箇所開設していること、医者でもある市長は台湾の教育は日本のおかげである。とまで断言され、親日家振りを見せてくれた。

24日は鹽水小学校であったが、生憎の土曜日で子供たちには会えず、校長先生も退職され若い男性校長に代わっていた。午後は一昨年訪れた嘉義の冨安宮に行き村人あげての歓迎を受けた。

25日は本番の宝覚寺慰霊祭だ。中島公明氏はじめ衛兵隊のラッパの音色が響く中、たくさんの観光客が参拝してくれたことは大きな収穫であった。

25日夜の台日文化経済協会の歓迎会で聞いた話によると、支那の習近平体制について台湾人の考えは、「チンピラ体制はそんなに長くはない。華僑の力が強く影響してくるので大陸の経済は悪化してきている。台湾の一般国民はチンピラに関心がない。馬は大陸一辺倒であるが経済界は考えを変えてきている。台湾の失業率は4.8%に落ち込んできており、国民の不満が馬に向けられている。馬は親中が本心で統一を考えている。国民党は日本の放棄した資産を天文学的に持っており、それに群がる馬鹿国民が馬鹿馬を選んだ。国民党は汚職を組織でやっており、反対派には冤罪をつくり殺してきている。チンピラはこれから益々日台に対し強気に出てくる。何よりも民進党が対支那政策を変換し、融和的政策を打ち出してきていることが危険だ。国民もこれらに気づき始めており、2014年の立法院選挙で台湾は大きく変わる。元台南県長の蘇換智氏も立候補する。台湾国民の多くは、尖閣は日本の領土と思っている。我々経済人は商売上与党についているがいずれはチンピラのやり方では撤退するかもしれない。」等とかなり具体的なお話を聞くことが出来た。政府系の団体の中から政府批判が出てくるのが興味深く大変なことだと感じるとともに、台湾が民主主義国家として成熟している証拠である。

更に25日は、思いがけず黄文雄先生と濟化宮で嬉しい合流。永田さんの奥様の吟じる「九段の桜」が朗々と響き、さぞかし英霊も喜ばれたことだろう。参拝後はいつものようにピーナツ粉のお餅をご馳走になり、バスで高鉄新竹站へ。新幹線で台北へ。その間、先生と隣席になることが出来、絶好のチャンスと思い、普段の講演会ではなかなか聞けない質問をしてみた。先生は嫌な顔ひとつされず私の質問に丁寧に答えていただき感激だ。先生も「大陸の習近平体制はそんなに長くない。台湾は14年の立法院選挙で大きく変わる。民進党が心配だ。」などと言われていた。

26日は、六士先生の墓参、林森公園、昼食会とご一緒したが外交部訪問はさすが反国民党の闘士だけあり、バスを降りようとする私に耳打ちし「僕はバスで待機するから、国民党の嘘に騙されないようにしっかり話を聞いてきなさい」と言って、一歩もバスを降りなかった。金美齢先生といい、黄文雄先生といい確固たる己の信念をお持ちだなと感じた。

最終日は朝から生憎の雨で、台湾では珍しく少し肌寒く感じたが、明石総督の鳥居のある林森公園では、移設に尽力された台北市議の陳玉梅女史が雨の中、待っていてくれお話を聞くことが出来たのも収穫である。

今回もまた新しい出会いと発見があり、とても有意義な慰霊の旅であったことは間違いない。最後に小菅団長はじめスタッフの皆さんに御礼申し上げます。ありがとうございました。

第14次 団員の声(感想文)全18件

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