令和2年8月15日終戦記念日を護國神社にお参りして
福田章枝
私が福岡県護國神社にお参りをしたのは、これまでの人生で2回目である。そのように導いてくださったのは、今は亡きあの偉大な小菅亥三郎先生である。この日も産經新聞社の記者の方が取材に来てくださった。今年はとても暑い日であった。戦争体験者の方にお聞きすると75年前のこの日も暑い日であったそうである。この暑い日であるにも拘らず、乳児を抱いて参加された若いお母さんたちが何組かあったことに私はとても感動した。乳児を抱えての外出がどんなに大変かを経験しているので、若いお母さんたちが神々しく見えた。この姿に接して日本はまだ大丈夫かもしれないと励まされた。乳児、幼児、小学生、中学生、高校生、青年、壮年、老人の参列者は全国にあとどれ程いるのだろうか。一昨年は、中学生だった茅野櫻さんが英霊に感謝をしなければならないという内容の作文を残していたように思う。高校生になった今年は『祖父「小菅亥三郎氏」が続けてきた活動はこれから私達の世代が引き継いでいく』と取材記者に力強く述べている。私は、改めて小菅亥三郎先生の偉大さに気づかされた。自らの行いでお孫さん達に伝え続けてこられた証である。その輪が「日華(台)親善友好慰霊訪問団」「スタジオ日本日曜討論 番組を支える会」「日本人講座」に関連するメンバーとなり、英霊に尊敬の念と感謝の祈りを捧げ続けていく。だから英霊を悲しませることにならないように、また、私たちの感謝の祈りが届くようにと希望を持っている。
それから、この参列に硫黄島帰還兵の宮原泉氏は、私たちにとっては大変大きな存在のお方である。大東亜戦争のことを何一つ分かっていない私には、かけがえのないお方である。その時の史実を直接今のうちにしっかり学びたいと考えている。私たちは、戦争経験者、戦後の苦難の中に生きてこられた人生経験をもつ先輩方が、自分の傍に居られることをもっと大切にして過ごしたいと思う。また私は、自分の孫たちに自身の行いを通して英霊に感謝する意味を伝えていくことが出来なければ、私の行動は単なるアクセサリーでしかない。
国や県の主催する戦没者追悼式典が戦争体験者、遺族を中心としているこの在り方は、やがて継承していくことが困難になることは明らかである。英霊を二度悲しませることにならないように「家族」と一緒にお参りに行くということを、自分自身で実行していく努力をしたい。
参拝者の声(感想文)(全26件)
- 家族揃って参拝することが大事(伊東季華)
- 終戦記念日護国神社家族参拝(井上恭子)
- 英霊が喜んでおられた(大山猛)
- 親から子へ、子から孫へ(茅野櫻)
- 祖父の願い(茅野慧)
- 終戦記念日の護国神社への家族参拝に参加して(木下修)
- 「家族」という必要性が問われている時(小菅健太郎)
- 歴史に向き合う素晴らしい一日でした(坂本美里)
- 自分のため他者のため(坂本一栞)
- 終戦記念日護国神社家族参拝に参加して(佐竹冬子)
- 僕たちのコロナでの出来事などは比べ物にならない(佐竹一仁)
- 暑さに負けず護国神社に着いて良かった(佐竹晴仁)
- 英霊へ感謝する日(田川香代)
- 8月15日終戦の日「陛下への感謝を、そして次世代へ継承」(田口俊哉)
- 家族参拝は終活であり生き甲斐でもある(津田建一)
- 家族参拝を終えて(中村那津子)
- 令和2年8月15日「終戦記念日に護国の英霊に追悼と感謝の誠を捧げる家族の会」に参加して(原田泰宏)
- 英霊に対し心から黙祷を捧げるような国へ(廣瀬知晴)
- 戦争で亡くなった方々の偉大さを知ることが出来た(廣瀬優莉)
- 大切な人や国の為に(廣瀬友那)
- 令和2年8月15日終戦記念日を護國神社にお参りして(福田章枝)
- 終戦記念日に護国神社に参拝をして(三嶋由香)
- 終戦記念日護国神社に参拝して母を思う(道崎光義)
- 8月15日(宮原泉)
- 英霊の方々とご先祖様へ感謝できる日(山辺貞子)
- 終戦の日に思う(湯下雅俊)
敬称略50音順。但し、家族は「長幼の序」に従った。
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