家族参拝は終活であり生き甲斐でもある

津田建一

令和2年8月15日終戦記念日護国神社家族参拝は、今回で4回目となります。今年は猛暑の中、公式参拝、記念撮影、暑さの中の直会。75年前もこの様な暑い日差しの中で「天皇陛下の玉音放送を拝聴した」と聞いたことを思い出しました。今年は次男の家族4人が参拝に参加してくれました。一昨年は三男の家族3人が参加してくれて、家族、孫たちの協力に喜ばしく、心から感謝したい。これは私の終活であり、生き甲斐でもある。

さて4年前に小菅団長の切望によって実現された家族参拝は大変意義深く、継続する価値と必要性を強く実感しています。特に直会の内容は他に例を見ない程素晴らしいものだと思います。今回参加させて頂いて、思い出したことを少し述べさせて頂きます。月刊誌正論9月号に掲載されていた記事を引用します。

台湾の元日本兵、許昭栄氏の生きざまに胸を締め付けられる想いと目頭を篤くした一節です。

許昭栄氏は戦時中に志願して日本海軍の兵士になった。日本が戦争に負けて、台湾から引き揚げた後、大陸からやって来た国民党の中国人が台湾を支配し、元日本兵の台湾人は国民党軍の兵士にされた。そして大陸での共産党との戦争に駆り出されて多くの兵士が戦死した。生き残った台湾人の元日本兵は大陸に残され、共産党に捕まって、共産党の兵士にされた。そしてその後の朝鮮戦争に送り出され、ほとんどが戦死した。運よく台湾に帰ってくることができた許昭栄氏は、亡くなった元日本兵台湾人の為に私財を投げうって高雄の旗津半島に慰霊碑を建て、「戦争と平和記念公園」と名付けて造営中だった。その半年後の2008年5月、許昭栄氏は慰霊碑の前でガソリンをかぶって焼身自殺した。許昭栄氏の活動に批判的な国民党の議員などに妨害され、公園の建設が困難になったことに抗議する自決だった。命をかけた訴えが高雄の人々の胸を打ち、高雄市によって工事が続けられて公園は完成した。

公園内には立派な資料館もできて、高雄市によって運営されているとのことです。

私共は日華(台)親善友好慰霊訪問団として、毎年、元日本兵台湾人の慰霊を続けていますが、同じ元日本兵台湾人で生還された方々の、その後の悲運な人生を思うと改めて戦争の悲惨さを感じます。

8月15日の終戦記念日には各県の護國神社に家族で参拝され、このような実話を聞かせてあげることも大切なのではないでしょうか。スタッフの方々の極め細やかな心遣いに感謝いたします。

参拝者の声(感想文)(全26件)

敬称略50音順。但し、家族は「長幼の序」に従った。

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