終戦の日に思う

湯下雅俊

今年も護国神社は暑かった。境内には参拝する人の姿はまばらだった。「武漢ウイルス」に頭を侵されたのか、それとも命を懸けて国を守った英霊に対する感謝と尊崇の念を無くしたからか。ただ嬉しかったことは、提灯の数だけは何時もの通りだった。

これで良いのだろうか。

生前、小菅亥三郎先生が言っておられた言葉を思い出す、「人は二度死ぬ。一度は命を失った時、もう一度は人々の記憶から忘れさられた時」なのだと。

戦後のGHQによる日本統治で、すっかり日本が悪者にされてしまい、洗脳された国民は自虐史観に侵されてしまった。しかし戦後75年もたてば世界情勢も大きく変わり、支那共産党による世界制覇の野望に皆が気が付き、それに対する防衛策が論じられるようになってきている。

小菅先生は、自衛の戦争は悪ではないと言っていた。国や家族を守るための戦いは当然の行為だと。そして防衛を放棄することが悪なのだと説かれていた。正論だ。大東亜戦争は自営の為の戦いであり、アジア植民地の解放独立の為の聖戦であった。このことは今や世界でも通説になってきている。だからこそ英霊に感謝し尊崇の念を後世に伝え続けなければならないのだ。

日華(台)親善友好慰霊訪問団を立ち上げられ、毎年台湾への慰霊訪問を続けること、更に終戦の日に家族で護国神社に参拝しようと始められたが、志半ばで旅立たれた小菅先生の遺志をしっかりと受け止め、微力ながらこの運動に参加し続ける決意を新たにした。

参拝者の声(感想文)(全26件)

敬称略50音順。但し、家族は「長幼の序」に従った。

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