団員の声(感想文)

慰霊訪問の感想

産經新聞社 力武崇樹

戦後60年以上を経過してもなお日本語を忘れることなく、台湾統治時代の日本人の偉業を日本人に代わって語ってくれる方々の姿は、私にとって衝撃的でした。「古典のひらがなのくずしぶりは芸術的。子供のころに習った日本語は美しかった」と懐かしんでいた葉蒋梅さん。「台湾の工業の発展があるのは、日本が互いに栄えようと台湾人に技術を教えたからだ」と熱く話してくれた胡順來さん。「日本でも台湾でも道徳観念がなくなってきている。これから心配だよ」と嘆いていた林溪和さん。みなさん、今でも「日本精神」を宿し続けていました。

そうした戦前世代の方々と出会うなかで、ふつふつと沸いてきたのは日本の学校教育についての疑念でした。「台湾統治」という、長い日本の歴史のほんの一コマではありますが、その教育に「偽り」があったことが体感的に確認されたからです。

歪な教育の背景に日教組の存在があることはしばしば指摘されることですが、その組織率がまだ四割前後を保った時代に、私も例に洩れず「戦前の日本悪者」との前提になる近現代史を教わりました。そこにイデオロギー対立による欺瞞が隠されていたことは後に知りましたが、最初に教わったことはなかなか心の底から拭い去れるものではありません。「戦前の日本」に対する不信感が、わずかではあっても残されていたのは事実です。

それが、林さんたちのお話を聞くごとに払拭されていきました。もちろん戦時中のことですから、日本の行為に負の側面がまったくなかったわけではないでしょう。しかし、日本の学校で「被害者」と教える林さんたちのような戦前世代が日本の統治を称えるとき、そこに「偽り」はないはずです。

折しも発売された雑誌「正論」(平成22年1月号)に、日本による統治を11歳まで経験した金美齢さんの手記「私はなぜ日本国民となったか」が掲載されました。金さんは戦前の日本兵との関わりを述べるなかで、「台湾人にとっての靖國神社」としてこう綴っています。

「父祖への感謝の念、その時代への愛惜の念、そうした人間としての自然な情感を持ち続けることだけでなく、靖國神社を今後も維持することは、後生を信じて散華していった父祖たちとの”黙契”ではないのか」

日華(台)親善友好慰霊訪問団は毎年、小菅団長をはじめ「後生」を中心に結成されています。「父祖への感謝の念、その時代への愛惜の念」のみならず、「日本人として亡くなった台湾人への哀悼の念」による慰霊訪問は、まさに「黙契」を果たすための旅だったのではないか。日本に戻り、改めてそう感じています。

小菅団長をはじめ、団員のみなさんからさまざまなご教示を受けながら台湾を訪問できたことは、大変貴重な経験となりました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。

第11次 団員の声(感想文)全19件

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