団員の声(感想文)

慰霊を回復して人は国民になる

第一斑 班長 梶栗勝敏

平成21年11月22日から26日まで、第11次日華(台)親善友好慰霊訪問団に参加させて戴いた。宝覚寺での慰霊祭をはじめ、6回の慰霊式、2回の献花式が行われ、「慰霊」に始まって「慰霊」に終わる旅であった。大東亜戦争で散華された元日本軍人軍属の台湾人英霊への感謝の念を捧げ尽くす、まさに「鎮魂」の台湾南北縦断の巡拝であった。

この手記では、訪問団に参加しての所感を述べ、最後に現地を訪れての所感を記させて戴きたい。

■訪問団に参加しての所感
①許國雄先生も訪問団の努力にお喜び
10年前の平成11年、小菅亥三郎・九州不動産専門学院理事長(以下、小菅団長)より台湾訪問に際しての良書を請われたとき、許國雄先生監修の『台湾と日本・交流秘話』を推薦した。我が国が台湾の近代化に心血を注いだ日本民族の業績や文化遺産、また台湾の歴史や自然などが広く紹介され、「世界一の親日国家」と言われる由縁が首肯できる書である。しかし今回の旅を経験して、訪問団が訪れた慰霊地については、指南書とも言うべき『台湾と日本・交流秘話』にも掲載されていない場所や逸話が複数ある。日本と台湾の慰霊にまつわる史跡や歴史の新たな発見と訪問は、第1次より第3次まで学校挙げて毎年訪問団を受け入れて下さった、今は亡き東方工商専科学校学長の許國雄先生も、天界より目を細めて喜んでおられることと思われる。そして先生がご存命で、『台湾と日本・交流秘話』の改訂版を出されるときは、おそらく小菅団長にもご協力のお声をかけられたことであろうと思われた次第である。

②祭文は英霊への最大の感謝であり偉業の顕彰
4泊5日の訪台の中で最も大切なものは、毎年11月25日に実施されている宝覚寺での「台湾人元日本兵軍人軍属戦没者大慰霊祭」への参列である。大東亜戦争当時、数百倍という狭き門を勝ち抜いて志願兵になっていった強者たちの集う慰霊祭である。だが、大東亜戦争の終結より60有余年、当時の戦争経験者の多くが鬼籍に入られており、戦争経験者の参列は少なくなっている。

嘗て高砂族の古老は、「我々は台湾に来たオランダにも鄭成功にも、そして清国に対しても屈従しなかった。しかし、日本だけは別だった。それは大東亜戦争の魅力に勝てなかったからだ」と語ったという。また戦後、留学して半世紀に亙り日本文学を研究し、昨年文化勲章を受章したドナルド・キーン博士は、戦時中ハワイで情報士官として海軍に勤務。戦場になったガダルカナル島から届く日米双方の兵士の遺書やメモを読んで、「今次の戦争の大義は日本にある。日本が勝つべきだ」と思ったという。そして、一身を捧げてまでも国の大義に尽くす若者を生み出した日本の国に魅せられ、戦後、日本の研究を始められた。あの当時、台湾や韓国、そして被植民地のアジアの国々は、窮地に追い込まれた日本が自存自衛をかけて立ち上がり、数百年のアジア支配の桎梏の打破に挑んだことに心から感激し、熱狂し、協力したのである。

さて宝覚寺の慰霊祭において、大東亜戦争の意義、また勇敢に戦った元日本軍人軍属であった台湾人の偉功を語るものは、小菅団長の祭文一つであった。主催者である台湾人体験者(元日本人軍人軍属)からそのことが語られていなかっただけに、英霊の志と戦いの歴史的意義が語られていたその祭文は重い。さぞ英霊及び戦没者の方々も小菅団長の祭文には心から嘉賞しておられることと拝察した次第である。

③小菅団長の努力と人柄への厚い信頼の賜物
一言で言えば、充実した台湾訪問であった。現地の方々との交流や歓迎の場を除いては、殆ど慰霊のみの訪問である。普通の旅行社に頼めば2~3個分の旅行はあると思われる重厚さであった。しかも、今年は従来よりも1日長い4泊5日の企画にも関わらず、昨年、訪問した富安宮や芝山厳はコースに入っていない。これまで訪問団が如何に多くの慰霊地を訪ねているかの証である。

しかし、こうした訪問団も偏に小菅団長の努力と、その努力や人柄に対する台湾の人たちの厚い信頼の賜物である。私たちの訪問団は行政等の公式訪問でもなければ、多くの議員を擁しているわけでもなく、一市井の人々からなる民間の団体である。にもかかわらず、3日目(11月24日)の台南県での昼食会には蘇煥智県知事が参加された。また最終日(11月26日)の外交部での手厚い歓迎、打ち解けたご挨拶、日本と台湾との各分野での一層の交流促進への熱意は、訪問団に対する信頼である。亡くなった台湾人(元日本人軍人軍属)に対する不変且つ誠実な慰霊訪問は、台湾の人々に感動と尊敬の念を与えているように思われた。

第1次より小菅団長を中心とする訪問団の企画は、常に手作りである。そのために派生する複数のハプニングや逸話は、主宰者の苦労に同情しながら仄聞していた。しかし今回の第11次の場合は殆どハプニングなき、充実した慰霊訪問であった。これも偏に10年に亙る蓄積と毎次の考察の積み重ねの成果である。それでも、3日目に黄昆虎・台灣友之會總會長の由緒ある私邸への熱心なお招きがあり、ご厚意を受け入れ、その日の行程が1時間以上遅れたことがあった。しかしこれはもうハプニングというものではあるまい。台湾の関係者と小菅団長の間に結ばれた堅く太い絆の故で、もう不可抗力に近い。

④名伯楽の簡さんを戴いて千里を走る訪問団
料簡ながら、外国訪問で重要なことは現地を知悉している案内者の存在だと思っている。私事ながら過去3回の訪問の中で、最初の韓国においては、当時、最高位の大統領より上席に座られる、朝鮮戦争の国民的英雄の白善燁大将にご案内戴いた。2番目の、ロシアに戦後60余年占拠され続けている北方領土においては、歯舞諸島にある志発島出身で北方領土返還要求運動連絡協議会の事務局長を長年務められている児玉泰子女史だった。3番目のサイパンでは、20年以上に亙って戦跡のガイドを務められ、現地の人と結婚された元日本人の女性の方や北マリアナ日本人会会長がおられた。こうした方々との対話や案内は、通常の旅行では窺い知ることのできない内情や様々な話題に及び、訪問を一層意義深いものにした。

今回の訪問団には、簡添宗さんがおられた。戦前は日本人であり、戦後は中華人民共和国との戦いにも参戦された空軍の強者である。また日本の統治時代の体験者であり、訪問団の趣旨に共鳴され、日本人の「義理・人情」を理解される簡さんは、訪問団の成功を支えておられる大きな柱である。中国の故事に「世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り」とある。伯楽がいて、後に千里も走る名馬が見出されるとの謂いである。訪問団も簡さんという名伯楽を得て、名馬としての潜在力や輝きを発揮しているのではないだろうか。無論、大東亜戦争の経験者をはじめ、心が通う大勢の現地の人たちの存在を忘れることはできない。加えて、日本の統治時代の真実を書籍に著され、今回半分の行程を同行された林渓和さんの功績、人柄も忘れ難い。そうした様々な要素が結集して、感動と余韻の深い訪問団が誕生、まさに日台魂交流の訪問団と感じた次第である。

■現地を訪問しての所感
今回の訪問先の中で特に印象に残ったのは、次の4箇所である。1つは台湾最南端の鵞鑾鼻岬と潮音寺、2つ目は八田與一氏の一大事業の八田ダム、3つ目は台湾の靖國神社といわれる南天山濟化宮、4つ目は高砂義勇隊英魂碑が建立されている烏来である。常々、李登輝元総統が日本統治時代の事績の中でも高く評価されている、嘉南平野を一大穀倉地帯に変えた八田與一氏の大事業や、先祖からの独自の文化と強靭な心身を持ちながら日本精神に生き、大東亜戦争では日本人以上の戦いをした高砂族の故郷・烏来を訪ねたとき、教育の崇高さと偉大さを改めて実感させられた。また濟化宮が創建されたのは昭和38年であり、厳しい戒厳令下の時代である。その時代に大東亜戦争で散華された方々を祀ることは反政府行為である。しかし当時の戦友や関係者は、靖國神社から霊璽簿の複製を戴き、全員の霊牌を製作して英霊を祀ったのである。ここまで戦友を大切にする彼らの生き方、そして斯くまで人生に感化を与えた日本の教育に心から感銘を覚えた次第である。

果たして、国民として生きる幸福とは何か。祖国の誇りある歴史を継承し、高邁な志に生きた先人の方々に連なって生きる喜びではないだろうか。戒厳令下の生活を30余年も耐え忍び、戦前の日本統治時代に受けた教育を誇りに思い、大東亜戦争を勇ましく戦った思いを今なお尽きることなく、訪問団の私たちに語りかけてこられる。そこには、国家のために誇り高く生きた日本国民の姿があった。

思い起こすのは、この慰霊訪問団の名付け親で、私たち日本会議の国民運動をご指導下さっていた日高清先生(元福岡県郷友連盟副会長)のことである。日高先生は戦前、蒙古の軍官学校で教官をされていた。そのときの教え子が40年を経て、娘・包智光(ポウチコウ)氏の日本留学を依頼してきた。包氏も、教え子であった父親から「日本は素晴らしい国だ」と幼少から聞かされ、日本留学を強く希望したのである。やがて日高先生は包氏の身元保証人になり、留学の間お世話をされた。日高先生が留学中の包氏に施された教育は、各地の慰霊祭に連れて行かれることであった。慰霊祭には先の戦争の戦友や遺族が多数集られており、当時の日本人の生き方や精神、歴史がそのまま語られている。日本精神の教育を受け、歴史の証人であり体験者である戦友や遺族に会わせて、日本そのものを肌で感じさせておられたのではないかと思う。顧みれば今回の私たち訪問団も同様の経験であった。

嘗て私たちが学生の頃、「祖国日本を回復したとき人は人生を取り戻す」と言われた。戦後教育とは国家を喪失した教育に他ならない。しかし今回の訪問を経験して、「慰霊を回復して人は国民になる」ことを痛感した。慰霊が如何に尊いものであるか、また慰霊を大切にできるほど日本人の歴史を回復しなければならないことを感じさせられた。まことに貴重な旅であった。

第11次 団員の声(感想文)全19件

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