団員の声(感想文)

日華(台)親善友好慰霊訪問団に参加して

第四班 篠原班 下田純子

日台の魂の交流10周年第7回台湾特別講演会『黄文雄先生』の講演後の帰りに、主人と2人で参加させて戴こうと決めました。そして本当に参加して、感謝と感激で一杯です。と言いますのも、私が台湾と日本人の先祖に対する想いが人一倍強いからです。それは私の祖父母が大正時代に台湾に渡り、母が生まれ、私が生まれたからです。(10ヶ月の時引き揚げています)

祖母は台湾に行ってまもないころは、毎晩お月様を見て、日本へ帰りたいと涙していたと言っていました。でも、祖父が造り酒屋を興し、台湾の貧しい人たちを沢山雇って食事を作り、又、子供(私の母達)も次々と生まれ、毎日忙しく、赤ちゃんの産着も生まれたその日に自分で縫ったと話してくれました。そうしている間に酒屋も少しずつ良くなり、道路を造ったりするのに沢山のお金を寄付したりして、台湾の人から感謝されていたと聞いて育ちました。又、母達も学校へ行き、多くの台湾の方達とも仲良くし戦後も良く行ったり来たりしていました。

一方、父は台中師範を出て、台湾で先生をしていました。こちらも生徒達から大変に「先生、先生」と大事にされ、当時赤ちゃんだった私が、50歳代の時に台湾を訪れた時も、先生の子供といって驚くほどの歓迎ぶりでした。又、父が勤めていた学校を外から眺めるだけでいいということで尋ねたところ、(雨と車椅子と91歳と高齢にも拘わらず)教え子の長男さんが、『先生、ちょっと待って』と車から降りて、なんと校長先生を門の所まで連れて来て下さり、この心遣いがありがたかったです。その学校の女校長先生が『先生(父のこと)、今も先生達の教えを守って教育しています、ご安心下さい、ありがとうございます』と言って戴きました。その時、父曰く、「僕達は特別なことをした訳でない、普通に教育をしただけなのに、台湾の人はこんなにも喜んでくれる、ありがたい事だ」と。この言葉の中に、日本人と台湾人の共存共栄の関係が表されていると思っています。この様な精神の絆をつなげる為に、私達個人では到底かなわないと思っていた矢先に、小菅団長が日台の先祖の思いを込め、【日華(台)親善友好慰霊訪問の旅】をお忙しい中、10年も続けていらっしゃるご縁に恵まれ、とても感謝しています。訪問した先々で、64年経った今でも日本人に感謝して祈り守って下さっている台湾の人々に出会い、胸が熱くなりました。そして日本人よ、『あなた方のご先祖は素晴らしかった』と自信を持って堂々と生きることが大事な事と、日本人として働いて下された台湾軍属の方々の慰霊をすることが日台の幸せに繋がることと確信しています。訪問した先々のことは、鮮明に私の胸に焼き付いています。それを、後日、文章として子孫に書き残し、伝えていきたいと思います。今回出会った方々、又陰ながら準備をして頂いた日台の関係者の方々、全ての方に感謝申し上げ、今後、日台親善の為に働きたいと思います。ありがとうございました。

第11次 団員の声(感想文)全19件

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