護国神社参拝に思う

湯下雅俊

73回目の終戦記念日に護国神社に参拝して、改めて祖国防衛のため散華された英霊に深い感謝の念を禁じえませんでした。

終戦を京城(現ソウル)で迎えた11歳の私は、初めての祖国への第一歩を博多港に印しました。敗れはしたものの、仕組まれた戦争を祖国防衛のため、またアジアを植民地から解放・独立させるために戦い尊い命を落とされた英霊の方々のお蔭で、祖国は守られ引き揚げることが出来たのです。若し祖国がなくなっていたら、私は朝鮮(現韓国)で難民になっていたでしょう。「勝てば官軍・負ければ賊軍」という言葉がありましたが、戦争に負けた祖国は賊軍となり、官軍となったアメリカの言いなり、誇りある伝統、歴史をずたずたにされてしまいました。このような祖国を喜んでおられるでしょうか。労働歌に…今の今をより美しく、つらぬき通して生きること、みんなで歌おう幸せの歌を…というものがありますが、未来・次世代のことよりも今の自分達が良ければいいという風潮は、まさに占領軍GHQの「思うつぼ」なのです。然し73年後のアメリカは、これらの政策が間違っていたと認め始めています。にもかかわらず「平和な今のままでよい」という平和ボケ、個人主義の「非国民」や外国の機関紙みたいなマスコミが多いことか。小菅団長が言われる「在日日本人」とはうまく言い当てていると感心しています。

しかし2回目の今年の参拝は昨年の倍、84名の参加で、若い人や子供たちの参加も増え、将来に対して希望が持てました。高齢の私も「報恩感謝」で英霊の気持ちに恥じない生き方をしようと心に誓いました。

参拝者の声(感想文)(全39件)

敬称略50音順。但し、家族は「長幼の序」に従った。

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