団員の声(感想文)

台灣よありがとう

第三班 桐野班 中村哲

今回、15周年を迎えた日華(台)親善友好慰霊訪問団も1人の事故者もなく無事慰霊を終え帰国することができました。ひと口に15年と言いますが、これまで友好、慰霊、日台の絆を深めるために日夜苦心された小菅団長および事務局の皆様の並々ならぬご苦労があったことを思うと感謝の気持ちに絶えません。

小生、今回5年連続の参加でしたが、私事に色々なことがあり参加を見合わせようかとも思いました。しかし、ご英霊をはじめ待っている方がおられると思い直し、万難を排して参加したことにより、また新たな出会いがあり、日台の絆を深めることができましたことは大きな喜びでした。5日間の旅の様子については他の団員の稿に委ね、小生の感じたことについて記してみたいと思います。

忠烈祠参拝については、正直なところ反日戦、国共内戦、金門、馬祖戦の戦没者を祀っている廟であり、いわば原台灣人日本軍人軍属のご英霊にとっては敵の祠です。ここを参拝することにはいささか疑念を持っていました。しかし、考えてみるに、祖国のために戦い、尊い命を落とされた方々を顕彰し、尊崇の誠を持って参拝することに理屈がいるだろうか。洋の東西を問わず、国のために命を落とした人を祀ることは至極当然のことなのです。これを忘れては、どこかの国のように「敵は死んでも敵」と言っているのと同類になり、人の道に外れることになります。ましてや、毎年お世話になっているガイドの簡添宗元空軍少佐の戦友や、中華民國建設に尽力した日本人山田良政が眠っているのです。それを思うと本殿において心から頭を垂れることができました。

忠烈祠には過去3度ほど参観したことがありますが、むろん本殿内に入ることなど出来ませんでした。しかし、今回は国軍儀隊挙げての大歓迎を受け、陸軍中佐が対応され、訪問団は本殿内において、通常、民國総統や外国国賓が献花する場所に案内され、小菅団長が代表して献花式を行いました。簡元少佐曰く「これまで民間団体にここまでした例は聞いたことがない」と。日華(台)親善友好慰霊訪問団に対する待遇は異例であり驚きました。さらには忠烈祠を去る時には訪問団のバスを正門前に横付けし、儀隊私服勤務員が一般観光客を整理していました。これも普通有り得ない事でした。まさに15年間に亙る小菅団長のご苦労が実った瞬間でもありました。

続く外交部表敬訪問では、亞東関係協会理事長の羅坤燦先生の「台日の関係は心と心の関係」と言われた言葉が強く印象に残りました。その後、林森公園での明石総督鳥居を見学し、黄文雄先生主催の歓迎夕食会に臨みました。ここでも大歓迎を受け、夕食会においては台灣高座会、台灣建国派の重鎮方との交流で色々なことをお話下さり、大変勉強になりました。

高雄では、小生が東京の中村勝範慶應大学名誉教授の主催する勉強会で知り合った台灣からの花嫁、張馨文(日本名安本佳代)さんの弟、張瑞根さんとご両親にお会いして親しくお話することが出来、そのうえ団員一同にお土産まで頂きありがとうございました。帰国後、彼女に高雄でのことを報告したところ、ご両親は訪問団と会えたことを大変喜ばれており、もうすでに16次の訪問団を持ち望んでおられるようで、ここでも日台の友好の輪が広がっており、再会を約してお別れしました。

台中宝覚寺での慰霊祭は、残念ながら年々台灣の参加者が減少し寂しくなっているのが現状です。今や訪問団が主体となってきた感があり、東京から参加の甲飛喇叭隊の「鎮魂の譜」が慰霊祭をより一層厳粛なものとしました。原兵曹、来年もよろしくお願いします。李登輝友の会の林建良氏の父君林政徳氏との再会もまた楽しきものでありましたが、病気入院中の胡順來・台湾中日海交協会会長のご回復を祈らずにはいられません。林建良氏の著書「中国ガン~台灣人医師の処方箋」は団員の皆様にぜひ読んでいただきたい一冊です。

烏來では高砂義勇隊慰霊碑参拝後、泰雅(タイヤル)族の民族舞踊を見学し、小菅団長を先頭に訪問団員も加わり、最後は一つの輪になって皆で踊りました。また、訪問団初めての烏來での食事において現地の方との強い絆を創ることが出来たことは、素晴らしいことでした。

今後の課題として、台湾慰霊訪問団も小生を含め団員の高齢化が進んでおり、若い方々の参加が強く希まれます。
日台の命の絆 死守せむと 吾 日本の一角に起つ
を合言葉に、皆さんと共に今後も慰霊の旅を続けて行きたいと願っております。

第15次 団員の声(感想文)全14件

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