団員の声(感想文)

15年の魂の交流を実感

第五班 副班長 永濱浩之

私は、今次初めての参加団員です。2泊3日のBグループ参加者です。

【旅程】

11月24日(日)福岡空港出発、台湾桃園空港着。時差1時間。新幹線で台中市へ、宝覚寺及び台中市内見学。台湾台日海交会様による歓迎の夕食会、通豪大飯店泊。

11月25日(月)宝覚寺での日本人墓地慰霊式、原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者大慰霊祭、台湾中日海交協会様による歓迎昼食会。バス移動で濟化宮「台湾の靖國神社」へ。新幹線で台北へ、台日文化經濟協会様による歓迎の夕食会、慶泰大飯店泊。

11月26日(火)免税店。バス移動で烏來高砂義勇隊戦沒英霊記念碑、酋長文化村にて昼食会。台湾桃園空港出発、福岡空港着、解散式。

まず最初に、小菅団長以下団員の皆様方、台湾現地の皆様方、関係各位に心より感謝申し上げます。「日本人」としては未だ未熟な私ではありますが、このような尊き機会・時間を与えて下さったことに、只々感謝する次第です。慰霊訪問団「15年の魂の交流」の重みを実感いたしました。特に、台湾台日海交会様・台湾中日海交協会様・台日文化經濟協会様主催による歓迎食事会での交流は、正に実証するものでした。簡単にはお会いできない要人の方々の列席の下、和やかな空気の中、昔懐かしい日本統治時代の思い出を語らい・懐かしの歌(九段の母、愛国行進曲、日の丸行進曲、ラバウル航空隊、戦友、暁に祈る他)を歌い合い、楽しいひと時を過ごすことができました。また、台湾中日海交協会の胡順來会長が急病入院中につき歓迎会に出席できないとのことで、奥様が涙ながら申し訳ない思いを伝えられました。小菅団長の心温まるご返礼もありましたが、団員一同言葉なく、感謝の極みでありました。更に、真に文武両道の林政德先生、お茶の先生でもある林啓三先生、元従軍看護婦である陳惠美さんは、最初の歓迎会で同席を賜わり、たくさんのお話をお聞きし勉強することができました。2日目の歓迎昼食会では、黄さんの心温まるおもてなしに乗ってしまった感があり反省しております。最後の台北での歓迎夕食会では、さすがに経済界の要人であり私には肩の荷が重いように感じました。しかし、頂戴しました「歌集 香る園第二集」を拝読しましたが、蔡永興氏初め6人の歌人の思いが、時空を超えて甦る詩でありました。その時々の世界を旅して思うこと、天の星・地の花、人の愛、四季の彩りを詠まれておられました。そして、日本のこと、特に鳩山政権の混迷、東日本大震災、天皇皇后両陛下の行幸啓、尖閣問題等、台湾については馬政権を心配された詩も多々ありました。日本のことを深く思い慕っておられる多くの台湾の人たちがいる現実に、私たち日本人は真摯に向き合い、台湾統治時代の先賢の日本人に敬意を表さなければなりません。そして、日本人としての誇りを取り戻し、世界一の道義国家日本を再建しなければなりません。これは、我々後世に残された日本人の義務であると強く念じた次第です。

さて、ここからは、日本人墓地、宝覚寺慰霊祭、濟化宮「台湾の靖國神社」参拝、高砂義勇隊戦沒英霊記念碑慰霊式の模様と感想です。

大きな布袋様の微笑む宝覚禅寺の一画に日本人墓地及び原台湾人元日本兵軍人軍属3万3千余柱の台湾住民で戦争の犠牲となった人々の霊を祀る「英魂観音亭」「霊安故郷」慰霊碑があります。日本人墓地墓前での「君が代」斉唱は、母国を離れ遠く台湾の地で散華された英霊に思いを込めたもので、墓地に沁み渡った感があり、只々感謝の思いを捧げました。目頭が熱くなり、感涙いたしました。更に、原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者大慰霊祭では、「霊安故郷」慰霊碑前で両国国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷、献花、地元主催者祭文奏上後、小菅団長の祭文奏上と進みます。特に、小菅団長の祭文奏上は、昭和18年11月6日に東京での大東亜会議で採択された共同宣言からの祭文でありましたが、私には「坂の上の雲」ドラマ中の東郷元帥・連合艦隊解散式での名文を思わせる素晴らしい内容であり、小菅団長の言魂が胸を熱くさせました。敬意と感謝の誠を捧げた後、「海ゆかば」を歌い慰霊祭は終了しました。その間、約1時間にわたり、胸が熱くなり涙が尽きませんでした。只々感謝の涙です。本当にありがとうございました。

その後、バスで約2時間の山奥に、台湾の靖國神社「濟化宮」があります。本当に山奥です。本堂は観音廟で横に7階建ての十地塔があり、台湾人御祭神約4万体の「霊璽」位牌が祀られています。凛とした空気が漂っている中、心温かな何かを感じました。「こんな山奥までよく来てくれた!」原台湾人英霊の念いを感じた瞬間だと思いました。ただ、濟化宮前方は南国の竹林で、連合国フィルム中の密林を火炎放射器で燃やす情景を思い浮かべ、またしても胸が熱くなり、感謝の思いでいっぱいになりました。言葉がありません。

最後に、台北の南東28kmの山間にある烏來(ウーライ)の高砂族(先住民)の村の高台にある「高砂義勇隊戦沒英霊記念碑」慰霊式に参列しました。当時、高砂族は「志願しなければ男ではない」と血書・血判の志願書を持ち、先祖伝来の蕃刀を手に持ち、多くの神業を備え、軍規の厳正さは正規軍を凌ぐ厳しさと言いますから、正に大和魂を受け継ぐ最強の戦士です。後世に生きる日本人として、敬意を表し感謝の誠を捧げなければなりません。ありがとうございました。

改めて、「日本人」「原台湾人元日本兵軍人軍属英霊」のすごさを思い知らされた旅となりました。散華された英霊に、そして今もご健在の元日本兵軍人軍属の英雄に恥じない生き方をしなければならないという念を強くし、玉木文乃進、吉田松陰の如く檄誠、西郷隆盛の如く、回天の偉業をなした実行力、横井小楠の如く桁外れの思想性…、思い浮かべるは大和国の素晴らしき多くの偉人の偉業のみ…。

最後に、日本人英霊、原台湾人元日本兵軍人軍属英霊に捧ぐ…。
明治天皇御製「国おもふみちにふたつはなかりけり 軍(いくさ)の場(には)にたつもたたぬも」

第15次 団員の声(感想文)全14件

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