団員の声(感想文)

日本と台湾を結びつける「天皇陛下万歳」

副団長 木村秀人

今次慰霊訪問団の最後の万歳三唱は、台北の夜に「天皇陛下万歳」で締めくくりました。今後、台湾にても私たちの万歳三唱は「天皇陛下万歳」です。

その事の次第と「天皇陛下万歳」の意義をここに記しておきたいと思います。11月25日、宝覚寺。慰霊祭後、林政徳氏のお話の中に「天皇陛下の台湾御訪問の可能性はありますか」との一言がありました。それから場所を移し、台湾中日海交協会様による歓迎の昼食会があり、盛会の後、万歳三唱の音頭を取りました。しかし、宝覚寺での林政徳氏のお話のこともあり、自身何か足りない気がして、散会後バスに乗るところを引き返し、林政徳氏にお聞きしました。

「ただいまの万歳三唱は天皇陛下万歳の方がよかったですね」答えは、「勿論そうです」この時、自分の中で日本と台湾がピタリと符号を合わせる感がありました。そこで、「来年は、是非、天皇陛下万歳でやりましょう。約束ですよ」林政徳氏はにこにこして頷かれました。バスの中で団長に報告しますと、団長もにこにこして、「是非そうしましょう」。

その夜です。台北のレストランで、台日文化経済協会様による歓迎の夕食会がありました。訪問団員には全員任務が割り当てられていて、私は既に挨拶1回、万歳2回していましたので、後は来年と思い食事に集中していました。ふと横を向くと、原田部長がそばに。「万歳三唱をお願いします」。昼間のこともあり、自然に、「天皇陛下万歳でいいですか」。原田部長、「いいと思います」。原田部長の「いいと思います」は「やれ」という意味です。経済協会様もそれでいいということで、「天皇陛下の台湾御訪問を祈念しまして、天皇陛下万歳、台湾国万歳、訪問団万歳」となりました。

散会して、会場から隣の一般席に出ますと、台湾の若者でしょうか、笑顔で私たちの方へお辞儀をしてくれました。

以上が、台湾で初めて訪問団が「天皇陛下万歳」をしました経緯です。

「天皇陛下万歳」の意義について
(1)明治28年、下関条約により台湾が日本領となった時、「かの地の民の暮らしや如何」と思われたのは、誰か。大日本帝国の統治者として、明治天皇以外にあるまい。このお気持ちのもとに、台湾の近代化が始まる。というよりも、台湾近代化に尽力した日本人の気持ちを支えたのは、この大御心あればこそであったろう。何故なら、彼らは個人として台湾のために頑張ったのではない、日本人としてである。この日本人を日本人たらしめる源を尋ねれば、皇室に行きつく他ないではないか。
(2)「天皇陛下万歳」で出征した台湾の若者たちの慰霊に来て、万歳に「天皇陛下万歳」がないのは、何か足りない、何かずれている、何かふれていない、どこかに隙間がある、という気がずっとしていた。宝覚寺の慰霊祭は、天皇陛下を待たずしては完結しない。硫黄島の怪奇現象が天皇皇后両陛下の巡幸の後、ピタリと止んだという。台湾出身で日本の大義に殉じたのであるから、なおのこと英霊は天皇陛下を待っているであろう。
(3)「天皇陛下万歳」は日本人の魂の回帰の言葉である。陛下御自身の長寿の祈りでもあり、日本の歴史と文化と大地とを渾然一体とまとめ、日本の精神の力となる言葉でもある。だからこそ、私たちの心を浄化し、生きる力を産む言葉である。

だから、私たちは万歳を唱えるのだ。しかし、だからこそまた、反日勢力は、かつて全国津々浦々にこだまして「天皇陛下万歳」を言わせぬ空気を作ってき、今やこの伝統は私たちの周りからは消えたのである。シナ中共が日本消滅を狙い、皇室破壊を目論む理由でもある。

「天皇陛下万歳」は、だからこそここにまた、反日勢力と中共シナへの反撃として高らかに私たちは唱えるのである。
(4)高砂族の古老いわく、「大和魂はこの台湾の山々の中に、私たちが守っています。いつでも取りに来てください」。
(5)日本が好きで、皇室が嫌いな台湾人はいない。しかも、大陸の圧力を受けながら、台湾人は日本のことを心配している。「早く日本人の魂を取り戻して、しっかりしてくれ」と。

以上、こうして見ますと、「天皇陛下万歳」は日本と台湾を守る言葉でもあります。天皇陛下の御訪問を台湾の人たちがどんな気持ちで待っているか。日本への思いは、その時、どんなふうにどんな形で表れるか。台湾松山空港を埋め尽くす日台の旗を想像するのは難しくありません。私たちはその時、失われたものを見つけ奪われたものを回復した時のように、目の当たりに日台が兄弟国であるのを実感するでしょう。

第15次 団員の声(感想文)全14件

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