団員の声(感想文)
台湾は何回訪問しても胸に刻まれ、各地の思い出と名残りも盡きない感動の訪問団
名誉顧問 永石辰郎
私は本年の第15次慰霊訪問団への参加で、4回目となりました。訪問地は毎年同じ霊地等であったり、初めての訪問地であったりしましたが、今回の訪問地で特に前回までとは多少違う、また新たな感動を覚えた事項について、日程的には順不同となりますが率直な感懐を述べてみたいと思います。
第一は忠烈祠の儀仗隊の儀礼行動をみて、私の旧軍時代の経験と軍隊の中核的な志気という観点から感じた率直な実感を、次の3点にまとめてみました。
(1)台湾軍はきびしい軍紀のもとに訓練され志気旺盛な軍隊である。
(2)軍事訓練もその練度の質的高さや、それによって養成された精神、即ち軍人精神が横溢している。
(3)国家、国民の為には自己の生命を賭していくという忠誠を誓う本来の軍人精神と逞しい民族精神が潜在している。
第二は松俵義博氏の台湾に対する一途な親善の精神に基づく行為であります。新装なった保安堂の神殿にマッチした見事な龍柱2本のご寄贈、龍神は保安堂の守護神として永久に存続されていくでしょう。また、配付された「聖山八田與一銅像の物語」によって初めて知りましたが、2013年2月に八田與一氏の偉大な功績を讃え、その言い知れぬ感動の象徴として見事な銅像を寄贈されたことは、今まで個人の寄贈としては初めての偉業でした。
第三は日本人土木技師、鳥居信平氏による地下ダム建設でした。ここの見学は私は訪台以来はじめての現地訪問でした。二峰圳集水廊道工事により洪水を防止し、渇水時の給水対策としてこの工事の完成により、萬隆農場の開拓は勿論、周辺住民に対する大きな貢献で(伏流水に着目した工事)、1923年に2年間で完成し、八田與一に継ぐ日本のすぐれた土木技術による現地への大きな貢献として永久に語り継がれていくことでしょう。
第四は屏東の東龍宮で、主祭神は田中綱常氏です。氏のご経歴ですが、田中綱常氏の曾孫の田中祥子女史の話によると当初は陸軍で、明治5年には「陸軍中尉」と明言されたことから、明治2年に大阪の兵学寮に入校された方と推量します。陸軍士官学校の前身は明治元年京都に在住し、兵学校と稱していました。明治2年には大阪に移転し、「兵学寮」(陸海軍士官養成所)と稱しました。明治4年2月に兵学寮は東京に設置されています。
第五は八田與一氏邸の公園の一角にある八田與一夫人が1人の子女を抱いた銅像です。初めて接しましたが、八田與一氏にとっても意義深く、現地の同女史への思いやりの象徴でもあろうと痛感しながら色々な想いにふけったひと時でもありました。
第六は今回濟化宮にエレベーターが設置され老人等に対するご配慮に謝意を申し上げます。
結語として、今回は訪問先々での由来など口頭での説明にとどまらず、史実に基づく正確な資料を用意、配付して頂いたことは何より有り難い当局のご配慮であり、訪台の印象も末永く残り、小菅団長並びに事務当局のご苦労に対し、深甚の謝意を表します。また、毎年のことながら訪問先ではいづれも懇親会の会食を開催して頂きましたことは、日台の友好の絆の証左であり感謝に堪えません。
最後となりましたが、小生の足の不自由から格別のご配慮を頂いた中村哲氏、松下美佳女史には大変ご支援を頂き、同室の石原祐教氏には滞在中大変お世話を頂き種々ご迷惑もかけたことと思い、心から在台中の御心遣いに対し感謝の意を表し筆をおきます。
第15次 団員の声(感想文)全14件
- 台湾は何回訪問しても胸に刻まれ、各地の思い出と名残りも盡きない感動の訪問団(永石辰郎)
- 台灣によせる強い思い(松俵義博・松俵茂子)
- 台灣先住民たちの民族の誇り(永田昌巳・永田タマミ)
- 日本と台湾を結びつける「天皇陛下万歳」(木村秀人)
- 台湾に学ぶ日本人の誇り(吉武勲)
- 『日本の宝』があるうちに(原田泰宏)
- 軍歌は日本と台湾がひとつの国として過ごした頃の思い出(桐野隆徳)
- 旅行ケースに日の丸を納めての訪台(村山淳)
- 教育の正常化を目指して(井上誠二)
- 海の彼方のニッポンへ(石川秀久)
- 慰霊訪問はご縁をつくり、深める場所(松下美佳)
- 15年の魂の交流を実感(永濱浩之)
- 台灣よありがとう(中村哲)
- 多くの気づきを与えてくれた慰霊訪問(佐竹聖子)