団員の声(感想文)
台湾に学ぶ日本人の誇り
副団長 吉武勲
「台湾は世界一の親日国家である」と言われるようになったのはなぜか。先日、台北駐福岡經濟文化處事處の戎義俊處長とお話する機会があり、その理由をお聞きすることができた。その中でも私が一番共感できたのは、我々の先人たちのご尽力があってこそであるということだった。
歴史の授業や教科書で、台湾で活躍された日本人が取り上げられる機会は殆どない。私も恥ずかしながらこの慰霊の旅への参加がきっかけとなり、そのような方々の存在を知ることができた。自分の勉強不足を恥じるとともに、教育現場において、伝えるべき重要な歴史的事実が教えられていないことに改めて問題意識を感じた。
子供たちが抱える問題の一つに、「自尊心の低下」がある。しかし、私自身も含め、現場で教えている教師も戦後の自虐史観のもと教育を受けており、自国に確固たる誇りを持てないままに教育活動に取り組んでいる場合も決して少なくはない。
「我々の祖先たちは海外でひどいことをしてきた」という誤った認識を正し、自国の誇りを持つことが、自尊感情の育成につながると考えられる。
今回の慰霊の旅で、まさに教育現場で伝えたい日本人の功績について知ることができた。
1人目は、台湾で神と祀られた日本軍人の杉浦茂峰曹長である。20歳という若さで、我が命と引き換えに冷静な判断を下し集落を救った勇気と決断力は、ややもすれば利己主義に陥りがちな現在の若者の手本とも言える。
2人目は、烏山頭ダム建設の監督を務めた八田與一氏である。技術や智恵を惜しみなく提供し、作物の育たなかった嘉南平野に大規模なダムを造り、三年輪作給水法により全農民にその恩恵を与えるという功績は言うまでもないが、決して驕ることないその姿に感動を覚えた。日本人と台湾人を区別することなく死亡順に名前が記された殉工碑や、台座なく地面に腰を下ろした姿で設置された銅像から、彼の人となりが伺える。
最後は、台湾を親日国家へと導いていただいた日本人全員である。いくつかの諸外国を訪問したが、これまで感じることのできなかった温かさを感じた。他国では必ずしも歓迎を受けるわけではなく、現地の若者に取り囲まれてからかわれたり、店員に露骨に嫌な顔をされたりと不快な思いをすることもあったが、台湾ではそのような思いを一切することはなかった。早朝の公園で気さくに日本語で話しかけて下さった方や、昼食会で「ありがとう」と目に涙を浮かべながら力強く握手して下さった方など、本当に温かい方々と出会うことができた。自分が日本人であることに誇りを持つことができた瞬間が多々あった。これもすべて我々の先人のおかげである。
今も台湾に残る武士道精神を、現代の日本人は果たして受け継いでいるのか。そんな我々を台湾の方々はどう見ているのか。「かつての日本人は良かった」と過去の話にならぬよう、教え子に先人たちの功績を伝え、日本人としての誇りに満ちた先人たちに恥じぬ生き方をしたい。
第15次 団員の声(感想文)全14件
- 台湾は何回訪問しても胸に刻まれ、各地の思い出と名残りも盡きない感動の訪問団(永石辰郎)
- 台灣によせる強い思い(松俵義博・松俵茂子)
- 台灣先住民たちの民族の誇り(永田昌巳・永田タマミ)
- 日本と台湾を結びつける「天皇陛下万歳」(木村秀人)
- 台湾に学ぶ日本人の誇り(吉武勲)
- 『日本の宝』があるうちに(原田泰宏)
- 軍歌は日本と台湾がひとつの国として過ごした頃の思い出(桐野隆徳)
- 旅行ケースに日の丸を納めての訪台(村山淳)
- 教育の正常化を目指して(井上誠二)
- 海の彼方のニッポンへ(石川秀久)
- 慰霊訪問はご縁をつくり、深める場所(松下美佳)
- 15年の魂の交流を実感(永濱浩之)
- 台灣よありがとう(中村哲)
- 多くの気づきを与えてくれた慰霊訪問(佐竹聖子)