私の8月15日
宮原泉
私にとって8月は忘れられない月です。以下、順を追って説明します。
昭和18年8月10日 海軍に入団(陸軍は入隊と言っていましたが、海軍は海兵団に入隊するので、入団と言っていました)
昭和18年8月15日 山口県防府市の防府海軍通信学校入校(後日の終戦になる日とは思ってもいなかった)
昭和19年8月04日 乗組み中の輸送船沈没
昭和19年8月31日 佐世保海軍病院入院
昭和20年8月15日 終戦(敗戦)
以上の様に、約2年半の海軍在籍中8月は忘れ得ぬ月でありました。
ただ、昭和20年8月15日終戦を迎え、内心、死ななくて済んだ。と安心したのも事実ですが、日時が経過するに従ってこれらの運命を考えた時、どうなるのかと不安もありました。その不安は的中しました。内地に帰って故郷に帰る時、嫌という程敗戦の惨めさを体験しました。それは、復員業務を済ませて故郷に帰る列車の差別です。韓国の人達は客車に乗車しているのに、私たちは無蓋貨車に詰め込まれました。この時、戦争に敗けたんだという気が悔しい程身に沁みました。
最後に、8月15日を終戦記念日と呼称していますが、何で記念なのだろうかと疑問が生じています。この日は日本が大国を相手に戦い、敗れた敗戦の日です。建国以来の戦いに敗れた日を「終戦記念日」とは? 後世の人達には、戦に敗れたのか、勝ったのか、判然としないと思います。また、戦争に敗れた日を「記念日」という事にも違和感を覚えます。
以上、心に感じた儘です。
追記として、海軍軍人のモットーを・・
スマートで 目光が効いて几帳面 負けじ魂 これぞ艦乗り
参拝者の声(感想文)(全26件)
- 素晴らしい日本を取り戻したい(伊東季華)
- 英霊との約束(大山猛)
- いつか皆の当たり前に(茅野櫻)
- 令和三年八月十五日家族参拝を終えて(小菅健太郎)
- 家族揃って参拝できることの有り難さ(小菅民)
- 終戦の日護国神社家族参拝に参加して(小林弘治)
- 8月15日~財産になった1日~(坂本美里)
- 昔は「国を守ること」、今は「自分のこと、楽しいこと」(坂本一栞)
- 令和3年8月15日の福岡県護國神社での家族参拝に参加して(佐竹冬子)
- 宮原泉さんたちの育った時代(佐竹一仁)
- マイクを向けられてもきちんと言えて良かった(佐竹晴仁)
- 英霊に感謝する気持ちを忘れない(田川香代)
- 8月15日護国神社参拝は「日本遺産」(田口俊哉)
- 終戦記念日に護国神社に家族参拝(津田建一)
- 今年は娘と参加しました(中村那津子)
- ~日本人としての当たり前にする~令和3年8月15日「終戦記念日に護国の英霊に追悼と感謝の誠を捧げる家族の会」に参加して(原田泰宏)
- 終戦の日親子で参加(廣瀬知晴)
- 終戦の日家族参拝に参加して(廣瀬優莉)
- 絶対に忘れてはいけないこと(廣瀬友那)
- 令和3年8月15日終戦記念日を護國神社に参拝して(福田章枝)
- 終戦の日の「決断」(松本翔太)
- 本当の歴史を知る意義(三嶋由香)
- 私の8月15日(宮原泉)
- 終戦の日家族参拝に参加して(山下あけみ)
- 英霊に想ふ(湯下雅俊)
- 終戦の日家族参拝に参加して(和久田純古)
敬称略50音順。但し、家族は「長幼の序」に従った。
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