8月15日護国神社参拝は「日本遺産」

田口俊哉

今年も8月15日終戦の日を迎えた。小菅亥三郎先生が渾身を込め立ち上げた「終戦記念日に護国の英霊に追悼と感謝の誠を捧げる家族の会」の護国神社家族参拝の日である。今年は幼児から年配者までそれぞれの思いを胸に70名の参加で、追悼と感謝の誠を捧げることが出来た。猛暑の中であったが参加者全員で最後まで会を盛り立ててくれた。何とか英霊達への最低限の務めを果たせた思いであるが、然し本当の英霊達の悔しさは今も鎮まらないのではないかと考える。

ここで大東亜戦争当時、戦地から家族に当てた1通の手紙を紹介したい。

大日本帝國陸軍特殊部隊「義烈空挺隊」久野正信中佐 命(29歳)

昭和20年(1945年)5月、沖縄特攻作戦で戦死

《内容》子供に宛てた手紙なので全てカタカナで書かれている

オカアサンノ シゴトヲ テツダイナサイ オトウサンハ 「マサノリ(4歳)」「キヨコ(2歳)」ノ オウマ(お馬さん)ニハナレマセン ケレドモ フタリ ナカヨクシナサイヨ オトウサンハ オオキナ ジュウバク(戦闘機)ニノッテ テキヲゼンブ ヤッツケタ ゲンキナヒトデス  オトウサンニ マケナイヒトニナッテ オトウサンノ カタキヲウッテ クダサイ チチヨリ マサノリ、キヨコ ヘ

上記紹介した手紙は親と子の今生の別れである。胸が痛い。

先の大東亜戦争で日本人約230万人が戦死したと伝えられているが、結果は健闘むなしく神の国日本国は敗戦となる。そして230万彼ら全てに、それぞれの悔しいドラマがある。彼らの思いを胸に強く刻み、敵討(かたきう)ちに生きたい心境である。本当に悔しい気持ちが抑えられない。

日本は何故こんな悲惨な戦争を始めたのか…と誰かが言っていた。ふざけたことを言わないでほしい。執拗に世界中の有色人種を悉く搾取する「イギリス・アメリカ(白人)」の悪魔的悪行に対して、日本人は敢然と命をかけて戦った。其の一点に尽きると声を大にして言いたい。そして何と逆恨みした鬼畜(白人)は戦後76年の今日でも、主権を渡したふりをして「学校」で、「テレビ」で「ネット」で、子供達に真実を教えない。それほど鬼畜の潜在的力は強大なのだろう。

しかし一日も早く強い日本を再興させ、犯罪者の汚名を払拭しなければならない。それが唯一英霊への追悼と感謝であろうと考える。これが正に後世に継承すべき「日本遺産」なのだと。

参拝者の声(感想文)(全26件)

敬称略50音順。但し、家族は「長幼の序」に従った。

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