第11次 帰朝報告

期間:平成21年11月22日(日)~11月26日(木)

参加者:30名

11月24日(火)

嘉南農田水利会会長がお出迎え

3日目の最初の訪問先は烏山頭ダムです。八田與一夫妻のお墓に到着すると、周囲が昨年よりも整備されているのに気づきました。八田技師の偉業が台湾のみならず日本国内でも評価が高まってきていることの現れではないかと嬉しく感じました。ダム建設にかける技師の意気込みを描いたアニメ「パッテンライ」の上映も一役買ったのではないかと思われます。墓前にお花を供え、全員でお線香を上げて回向した後、八田與一記念館に行きました。そこでは地元の嘉南農田水利会の徐金錫会長が私達を待っていて下さいました。記念館で八田技師紹介のビデオを見ましたが、その中で若き日の氏が出演されており、技師への尊敬の強さを目のあたりにすることができました。記念館を出ると、昨年偶然発見した殉工碑を訪れました。現地の人と日本人とを分け隔てなく名を刻んだ碑の前で、献花・黙祷をして犠牲者の霊を慰めました。

台南縣政府の縣長もご参加

烏山頭水庫を後にした一行は、新榮へと向い、「小園日本料理店」で何怡涵・陳清華ご夫妻と一年振りの再会を喜び合いました。日本風の料理を取り入れたお店で、中華料理に飽きているのではと慮っての粋な計らいだろうと想像に難くありません。

会場には、台南縣政府の蘇煥智縣長と台湾李登輝友之会の黄崑虎総会長もお見えになっていて、何・陳さんの歓迎の挨拶、団長の答礼に続いて、お2人からも挨拶がありました。宴会が始まるとあちこちのテーブルで話が弾み、スケジュールにはなかったのですが、急遽ご夫妻の家と黄総会長の家に立ち寄ることになりました。盛り上がりを見せた歓迎会も、来年元気な姿で再会できることを約して、2時間半の幕を閉じました。

会場を後にした一行は、すぐ近くにある何・陳さんのお宅を拝見に伺いました。時間の都合で内には入りませんでしたが、瀟洒な洋風の邸宅で、表札にお2人の名前が並記してあるのが印象的でした。

感動的だった子供達の歓迎

予定よりも小一時間遅れて鹽水國民小學に到着すると、既に子供達が待っていてくれました。そして正門前でまず高学年の生徒達が躍動的な龍の舞を踊ってくれました。その見事な舞に感動していると、この日のために3ヶ月も前から練習を積んでいたと聞いて、遅れたことを本当に申し訳なく思いました。続いて低学年による太鼓の演奏、幼稚園児によるタンバリンの演奏と、心尽くしの歓迎を受けて目頭が熱くなりました。子供達から素敵な歓迎を受けた後、資料館で劉信卿校長から学校紹介があり、その後校内にある神社に団長・副団長を先頭に二列縦隊で整列し、二礼二拍一礼の作法で参拝しました。祈願の木札が用意されてましたので、各自願い事を書いて奉納しました。

古跡を特別見学

子供達に見送られて学校を後にしたバスは、貞愛親王殿下がご宿泊された「八角樓」を見学した後、後壁村にある黄総会長のお宅へと向かいました。敷地が数万坪もあるという古跡(文化財)で、殆んど手を加えられることなく建てられた当時のままで保存してあるそうです。ここには李登輝元総統が訪ねられたり、外国の要人が総統府に行く前に立ち寄るといった逸話には驚きました。30分程見学した後、バスは台中を目指して北上しました。

この日の夕食は、台湾台日海交会主催による歓迎会で、会場の福華大飯店に予定よりも1時間近く遅れて到着したにもかかわらず、出席者の皆様は待っていて下さり、温かく出迎えて下さいました。林徳華会長の挨拶に続いて小菅団長が、まず到着の遅れを心からお詫びした後挨拶をして、歓迎会は幕開けとなりました。顔と名前が必ずしも一致しない中、顔見知りの方も大勢おられて、あちこちのテーブルでお酒を酌み交して歓談の輪が広がってゆきました。団員の何人もがカラオケを歌い、以前好評(?)だった金澤副団長の女形の踊りも登場し、大いに盛り上がりました。明日の宝覺寺での再会を約し、団長の締めの言葉で宴はお開きとなりました。ホテルに着くと心地よい酔いも手伝って、ぐっすりと眠りました。

(文責:原田和典)

帰朝報告の系譜

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