第11次 帰朝報告

期間:平成21年11月22日(日)~11月26日(木)

参加者:30名

11月23日(月)

ホテルで朝食を摂った後、一行は台湾の最南端の鵝鑾鼻岬へと向かいました。広い鵝鑾鼻公園の一角に展望台があり、そこに登ると巴士海峡が一望できました。天気が良かったのでかなり遠くまで見渡すことができましたが、大東亜戦争の末期、アメリカの潜水艦に撃沈され、多くの同胞が海のもくずと消えていかれたことに思いを馳せると目頭が熱くなり、犠牲者のご冥福を心から祈りました。その後よく整備された園内を散策し、最後に灯台付近で記念写真をとって公園を後にしました。

ご遺族が潮音寺で献花

バスで25分ほど北上すると、巴士海峡で犠牲となられた方々を手厚く祀ってある潮音寺に着きました。境内の一角に「第二次世界大戦日本海軍巴士海峡戦没者慰霊碑」があり、早速碑の前に整列して、国旗敬礼・国歌斉唱に続いて黙祷を捧げ、巴士海峡でお父様を亡くされた前原清美氏が団員を代表して献花をされました。訪問地に直接関係があるご遺族が参加されたのは、今回が初めてでした。全員で焼香をした後、本堂の展示品等を見て回りましたが、潮音寺の建立に尽力された訪問団の森顧問(平成17年他界)の名前が石碑に刻まれているのを見て、改めて顧問のご苦労、ご遺志に感謝の思いを強くしました。

お寺の管理をされている地元の女性にお礼を述べて潮音寺を出発した一行は、巴士海峡に流れ込む川の橋の上で、ご英霊に黙祷を捧げ、先程献花された前原氏が川にお花を投下して、ご冥福をお祈りしました。

奇美実業の許文龍会長と再会

橋上での慰霊式を終えた一行は、一路台南を目指してバスを走らせました。台南にある奇美博物館に到着すると、毎年博物館を案内して下さる龔素娥さんが待っておられました。1年振りの再会を喜んだ後、社員食堂に案内されると昼食の弁当が用意されており、郭玲玲館長と石榮堯顧問も同席されて昼食会となりました。実は石榮堯氏は手術をされて療養中と聞き及んでいただけに、元気なお姿に安心しました。食事の後、石氏と龔さんの案内で館内を見学していたところ、エレベーターの扉が開いて5~6名の方が出てこられて、突然「小菅さん、小菅さん」と団長を呼ぶ声が聞こえました。何事かと目をこらすと、何と奇美実業グループの許文龍会長がわざわざ訪問団に会いに来られたのでした。短い挨拶を交わしただけですが、訪問団のことを気にかけていただいているのが判り、感動しました。館内を隈なく見学し終わると中庭で記念写真を撮って、お暇乞いしました。

恩賜の煙草をご祭神に

次の訪問地は同じく台南にある飛虎将軍廟です。廟に着くと恒例の歓迎の爆竹が鳴らされ、呉金魁さんをはじめ廟を守っておられる地元の方々の熱烈歓迎を受けました。ご霊前に干支の置物や恩賜の煙草をお供えした後、国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷、献花に続いて、最後に小菅団長がいつまでも廟を守ってこられた地元の方々へ感謝の挨拶をして慰霊式を終えました。各自お線香を上げた後、廟内を見学し、バナナやジュースの歓待を受けながら談笑して時を過ごしました。最後に地元の方々も加わって記念写真を撮り、強烈な爆竹の音に送られながら、来年の再会を約して廟を去りました。

一行は台南から高雄へと戻り、訪問団事務局の黄楷のご両親である黄明山・葉美麗ご夫妻主催の歓迎夕食会に臨みました。まるで結婚披露宴かと見まごうような立派なレストランで、台湾支部長である黄明山氏の歓迎の挨拶と小菅団長の答礼を黄楷棻がそれぞれ通訳することから会は始まりました。続いて宴会になりましたが、2日目ということで団員同士もすっかり打ち解けており、また身内や友人の方も多く招待されていましたので、大いに盛り上がり、時の経つのも忘れてしまいました。名残りを惜しみつつ黄・葉ご夫妻に感謝して歓迎会はお開きとなりました。

ホテルに戻る前に、一行は台湾名物の夜市見学に出かけました。高雄の有名な六合夜市です。商店の店先に、衣料品やバッグ、時計などが所狭しと並べてあり、また珍しい食べ物やフルーツを売る店が軒を連ね、何度見ても楽しい光景です。毎晩深夜まで開かれていて、台湾の原動力の淵源はこういうところにあるのではないかと思いました。

(文責:原田和典)

帰朝報告の系譜

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