第13次 帰朝報告

期間:平成23年11月22日(火)~11月26日(土)

参加者:45名

11月22日(火)

総勢45名の今次訪問団員のうち、22日福岡出発の36名は、8時に福岡空港国際線出発ロビーに集合し、搭乗手続きを終えた後、VIPルームで簡単な出発式を行いました。昨年に引き続いて今回も全行程を収録し、DVDを制作してもらうために、シネマトグラフの又丸斉次氏に団員として参加してもらいました。また、11次訪問団のときと同様産經新聞に同行取材をお願いし、東京本社から頼永博朗氏が参加されました。

訪問の意義確認、役員紹介、諸手続の説明等を終えた後、出国手続きを済ませ、チャイナエアライン111便で10時20分台北へ向けて飛び発ちました。機内で寛いでいた所、「お客様で具合の悪い方がいらっしゃいます。お医者様か看護師の方がおられましたら、乗務員までお声をかけて下さい。」という機内放送が流れました。ちょうど団員の一員にお医者様の古賀誠先生がおられましたので早速申し出られて処置にあたられました。一時的な体調不良ということで事なきを得たそうですが、改めて古賀先生の同行を心強く思いました。

飛行機は、現地時間11時50分に桃園空港に到着しましたが、第2ターミナルに降り立ちましたので、モノレールのような乗り物で第1ターミナルに移動し、今回初めての体験でした。入国手続きを済ませて待合室に着くと、今回で6度目となるガイドの簡添宗さんが暖かく出迎えて下さいました。ここで中部国際空港出発の石原祐教氏と合流し、専用バスに乗って羽田空港出発組が待っている松山空港へと向いました。空港に着くと、地元メディアの記者数人が待ち構えておられ、小菅団長と松俵義博常任顧問が囲まれて共同取材を受けました。団長は今回の訪問の意義について、東日本大震災に対する台湾の皆様からの世界一のご支援に対する感謝とお礼、そして中華民國建国100周年のお祝いであることを強調しましたが、この模様が台湾のテレビやインターネットで広く紹介され、多くの台湾国民に高く評価されたと仄聞しております。

インタビューを終えた一行は東京組の8名の方々と共に専用バスに乗り込み、最初の訪問先である中華民國外交部へと向かいました。

外交部に到着すると、待っておられたのは奇遇にも元台北駐福岡経済文化辧事處處長だった黄明朗亜東関係協会秘書長でした。久しぶりの再会で懐かしく、名刺交換の時に覚えていますよと声をかけて下さいました。

黄秘書長の福岡時代の思い出も含めた歓迎の挨拶に続いて、小菅団長が今回の訪問は従来の慰霊と交流に加えて、東日本大震災の復興支援への感謝と中華民國建国100周年のお祝いも目的としている旨の答礼の辞を述べ、耳目を集めました。そして図らずも建国100周年記念のバッジと名刺入れを全員が記念品として戴きました。黄秘書長を交えて外交部の玄関で記念写真を撮った後、一行は烏来の高砂義勇隊戦没英霊記念碑へと向いました。

碑前に到着すると、周萬吉氏や邱克平氏が待ち受けておられ、早速慰霊式を斎行しました。国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷、献花、団長挨拶の後、周萬吉氏が毎年沢山の方が慰霊に訪ねて下さり、散華されたご英霊もさぞかし喜んでおられることと思いますと謝意を述べられました。碑の周囲は昨年よりも更に整備が進み、展望台も新たに造られていて、もっと多くの日本人に慰霊に訪れてほしいとつくづく感じました。その後少し山を下って、傳龍源氏の営まれているお土産店に立ち寄り、茶菓のもてなしを受けましたが、出来たての熱いパイナップルケーキをそこでいただき、美味しい味が今でも忘れられません。

酋長文化村を後にした一行は台北市内に戻り、台日文化経済協会主催の歓迎会に臨みました。会場は市内でも有名な海覇王餐庁で、今回も各テーブルに団員一人ひとりの名前を書いた席札が置かれていて、変わらぬ細やかな配慮に感じ入りました。鄭祺燿会長の歓迎の挨拶、小菅団長の答礼の挨拶が終ると開宴となり、美味しい料理に舌鼓を打ちました。この席に昨年まで福岡の辧事處でお世話になった向明徳領事事務局組長が同席されていて懐かしいと同時にお元気な様子に安堵しました。

来年の再会を約した一行は、ホテルに向かう途中林森公園に立ち寄りました。ここは明石元二郎台湾総督のお墓があった所で、総督と乃木希典大将の母上の鳥居だけが残されて再建されていました。21時を過ぎていましたので、周囲は暗かったのですが、薄明かりの中で鳥居と碑文を目の前にしてご冥福をお祈りしました。その後宿泊先の慶泰大飯店で寛いだ後、ぐっすりと眠りました。

(文責:原田和典)

帰朝報告の系譜

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