第12次 帰朝報告
期間:平成22年11月22日(月)~11月26日(金)
参加者:46名
11月22日(月)
機内放送で訪問団を呼名
現地合流組を含めて47名の今次訪問団員のうち、22日福岡出発の28名は、8時に福岡空港国際線出発ロビーに集合し、出国手続きを終えた後、VIPルームで簡単な出発式を行いました。第10次と11次は、台湾の蔡國惠さんに桃園空港以降の行動をDVDに収録してもらいましたが、今回はシネマトグラフにお願いしましたので、同社の又丸斉次さんが福岡から団員として参加されました。VIPルームでの出発式を終えようとした時、中華航空・JTB・新亞旅行社の各支店長がわざわざ訪ねて来られて挨拶をされました。その後記念写真の撮影をして、いつも通りチャイナエアライン111便に乗り込みましたが、離陸前の機内放送に耳を疑いました。客室乗務員の方が「本日ご搭乗の皆様、並びに日華(台)親善友好慰霊訪問団の皆様、本日もチャイナエアラインをご利用いただき、有難うございます」と訪問団を固有名詞でアナウンスされたのです。支店長直々のお見送りといい、12回続けてきた訪問団に対する暖かいエールだと有難く思いました。定刻より10分遅れて10時20分に福岡空港を飛び立った飛行機は、定刻より5分程遅れて現地時間11時45分、台湾の桃園国際空港に無事着陸しました。入国手続きを済ませて空港の待合室に行くと、すっかり顔馴染みになったガイドの簡添宗さんが暖かく一行を出迎えて下さいました。成田出発組と合流するまでの空き時間を活用し、班毎に各自自己紹介をして、参加の目的や経緯を披露し合いました。頃合いよく成田出発組の6名の団員の皆さんが到着しましたので、彼等にも自己紹介をしてもらい、専用バスへと乗り込みました。
最初の訪問地は三芝郷の福音山クリスチャン墓地にある明石元二郎台湾総督の墓所でした。ところが、バスの運転手の準備不足で道がわからずに墓所に到着することができず、最終的に団長の判断で断念しました。6月5日の第8回台湾特別講演会で、黄文雄・明石元紹両先生に明石元二郎総督についての講演をしていただき、墓参を楽しみにしておられた団員の方も多く、主催者として誠に申し訳なく、断腸の思いです。今回「事前の確認」の確認がいかに大事かを身をもって体得しました。
2度目の幻想的な墓参
気を取り直した一行は台北市内へ戻り、士林の芝山公園内にある「六士先生の墓」を訪れました。しかし17時を回っていて日が暮れかかっており、ランタンの明かりを頼りに山中にある墓前に到着しました。お墓の周りは足元が悪く転倒の危険もありましたので、一部の人のみ墓前に集い、他の人は遊歩道上でのお参りとしました。6名の先生のご冥福をお祈りして黙祷を捧げた後、小菅団長と教育界を代表して福岡教育連盟の藤村一先生に献花をしていただきました。丁度2年前の第10次訪問の時も六士先生の墓参が18時過ぎになり、2度目の幻想的なお墓参りになりました。
蔡焜燦先生から講話
1時間程して下山した一行は一旦ホテルにチェックインした後、夕食会場の「梅子」へと向いました。実は出発の前日、台北在住の蔡焜燦先生から、台北市内での夕食会にご一緒したいと申し出があり講話をお願いしました。ところで訪問団が先生とお会いするのは2度目で、第1回目は第8次訪問の最終日の昼食会場でした。この日烏来の高砂義勇隊戦没英霊記念碑を訪れて慰霊式を斎行したのですが、台北へ戻る際に渋滞に巻き込まれ、蔡先生との約束の時間に1時間以上も遅れてしまったのです。怒ってもう待っておられないだろうとの思いで会場に着くと、先生は「帰ろうと思ったが、あなた方が烏来に参拝に行っていると聞いて、待つことにしました」と汗顔の私たちを思いやり講話と食事におつき合いしていただきました。
あの時の二の舞いにはならずに、少し遅れた程度で会場につき、先生と名刺交換をして席につきました。開宴に先立ち、仲介の労をとって下さった原田泰宏氏が「鶴亀」を舞われて先生のご長寿をお祝いされました。講和をお願いしたところ、皆さんお腹が空いているだろうから食事をしながら話しましょうと、ご配慮下さいました。講話は明石元二郎総督のエピソードから、荒牧賢二氏が顧問をされている紅乙女酒造の胡麻焼酎にまつわる話まで実に多岐に亘り、時には鋭いブラックユーモアを交えて「空き菅」批判まで飛び出して、飽くことがありませんでした。
21時過ぎ、蔡先生との名残を惜しみつつ、一行は宿泊先の三徳大飯店に戻りました。ただ希望者13名は、紅乙女酒造の荒牧さんの粋な取計らいで用意されたスナックでカラオケに興じ、大いに盛り上がりました。
(文責:原田和典)