第17次 帰朝報告

期間:平成27年11月22日(日)~11月26日(木)

参加者:32名

11月24日(火)

松俵常任顧問が七福神の陶面額を奉納

3日目のこの日は、まず保安堂を訪れました。8時30分という早い時間にもかかわらず、趙麗恵さんをはじめ地元の皆さんが大勢で出迎えて下さいました。早速、大日本帝國海軍の艦長の慰霊式を執り行い、松俵義博常任顧問が日本から持って来られた七福神の大きな陶面額を奉納されました。

昨年同様、高雄市旗津区の謝水福区長もお見えになっており、前日私達が旗津の台湾無名戦士紀念碑を訪問したことを聞かれて非常に残念がっておられました。地元の皆さんが用意された美味しいぜんざいやバナナ等をいただいた後、高雄市政府へ向かいました。

「福岡宣言」を高く評価

高雄市政府に着くと、総統選挙前で多忙な陳菊市長に代わって、揚明州秘書長が待っておられました。広い会議室で、まず映像による高雄市の紹介があり、続いて揚秘書長が歓迎の挨拶をされましたが、その中で昨年のガス爆発に対する義捐金のお礼と共に、「福岡宣言」を高く評価されたことに驚きました。訪問団のことをよく調べられておられることがうかがえます。小菅団長は答礼の挨拶の中で、台湾にゆかりの深い本間雅晴中将の縁戚にあたる本間潤子さんが参加されていることを紹介し、縁の深さを強調しました。和やかな雰囲気で1時間余りの表敬訪問を終えた一行は、次の訪問地の飛虎将軍廟へと向かいました。

廟に響く慰霊の喇叭

飛虎将軍廟でも多くの地元の皆さんが待ち受けておられました。爆竹の歓迎の中、廟に到着すると、早速道教の作法に従って儀式が執り行われました。昨年同様、この日と翌日の宝覚寺での慰霊祭のためにわざわざ東京から来られた甲飛喇叭隊第11分隊の原知崇氏等3名の方が、杉浦茂峰兵曹長以下三柱のために喇叭を吹かれ慰霊の誠を尽くされました。

慰霊式を終えた後、今回は行程に入っていなかった本宮である海尾朝皇宮にも是非御参りして欲しいと所望され、参拝することになりました。海尾朝皇宮は第12次と第15次訪問で御参りした所ですが、改めて地元の皆様の信心深さを感じました。

休館日に郭副館長の取り計らいで特別に入館

海尾朝皇宮を後にした一行は、次に新しい奇美博物館を訪れました。元の奇美博物館は何度か訪問し、許文龍氏にもお会いしたことがありましたが、新しい博物館は初めてでした。しかし、残念なことに訪問時期が展示品入れ替えの特別休館日と重なり、全館の見学はできませんでしたが、郭玲玲副館長の取り計らいで特別に入館させていただきました。そしてわざわざ私達のために、高価すぎて値がつけられないバイオリンの数々を見せて説明していただきました。郭副館長は以前とお変わりなくお元気でしたが、心のこもったおもてなしに頭が下がる思いでした。まるで宮殿と見まがう様な建物の正面玄関で記念写真を撮って奇美博物館を後にしました。

会長交代で歓迎会の内容も変化

一行を乗せた専用バスは、一路台中市を目指して北上しました。台中では台湾台日海交会の皆様による歓迎夕食会が18時30分から予定されていましたが、海尾朝皇宮に寄るなど行程が少し遅れ、会場には30分程遅れての到着となり、ここで2泊3日の乙班の2名と合流しました。会場の外では会の幹部の方々が既に待っておられ、温かい拍手で迎えて下さいました。会場に入ると参加者の顔ぶれが昨年までと少し変わっていることに気づきました。今年は会長が簡朝陽氏から林余立氏に替わったこともあってか、会員の子供さんやお孫さんが多く参加されていました。ここでも会員の高齢化が進み、会の先行きを懸念していただけに、若い世代への継承が図られつつあることに安堵しました。林余立会長の歓迎の挨拶、小菅団長の答礼の挨拶の後、乾杯で開宴となりましたが、いままでになく、ミュージシャンの演奏や子供たちの演技が披露されるなど、内容も一変していて華やかな宴でした。途中からはカラオケも加わり、時間を忘れて交流を深めてお開きとなり、明日の宝覚寺での再会を約して宿泊先の全国大飯店に戻りました。

(文責:原田和典)

帰朝報告の系譜

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