第20次 帰朝報告

期間:平成30年11月22日(木)~11月26日(月)

参加者:73名

11月23日(金)

新しい奇美博物館を見学

ホテルで少し早めの朝食を摂った後、8時21分台北発の台湾高速鉄道(新幹線)で台南まで南下しました。台南駅で専用バスに乗り換え、この日の最初の訪問先である奇美博物館を訪れました。新しくなった奇美博物館を訪れるのは2回目ですが、前回は休館日と重なり、郭玲玲副館長の計らいで特別に楽器類を見せていただきましたが、本格的な見学は今回が初めてでした。 広大な敷地のギリシャ神話の大噴水を過ぎ、オリンポスの神々の彫刻の施された橋を渡るとギリシャ様式の白亜の宮殿のような博物館に至ります。館内に入ると既に郭副館長が待っておられ、一行を歓迎して下さいました。彫刻や動物の剥製、銃剣類や鎧兜、絵画、楽器などをじっくり鑑賞し、時間が経つのを忘れるほど多数の芸術作品に触れ、感動しました。館内にあるレストランで昼食を戴き、博物館を後にしました。

次に向かったのは安平古堡(ゼーランジャ城)です。台湾の歴史の原点とも言えるところで、オランダ人が17世紀に植民地支配の拠点として築いた台湾で一番古い城砦で、オランダの栄光時代の最後の象徴なのです。現在は修復もよく行き届き、望楼も空港の管制塔のようです。中庭には日本とも関係の深い、台湾の祖といわれる鄭成功の像が建ち、赤レンガの城壁は半ば剥げ落ち、熱帯植物がからまり、太い根の束を城壁にそって垂らし、見事な古跡と言っていいものでした。庭には当時の大砲が並べられ、鄭成功の時代の台湾に思いを馳せながら次の訪問先、海尾朝皇宮へと向かいました。 海尾朝皇宮へ着くと班別に整列し、御祭神である保生大帝に黙祷を捧げ、横尾秋洋顧問による献花、挨拶に続き小菅団長の補足説明で献花式を執り収めました。

飛虎将軍聖誕祭のお祭りに遭遇

献花式を終えた一行は、末社に当たる飛虎将軍廟へと向かいました。丁度、この日は飛虎将軍の聖誕祭のお祭りの日ということもあり、堂庭に張られた天幕には多数の供物が並べられていました。廟の前の道路には数台の車が並べられ、飛虎将軍の物語が人形劇で演じられていました。廟周辺は多くの地元の方々で大賑わいでした。このお祭りの日にお詣りするのは今回が初めてです。

早速、整列し、国旗敬礼、国歌斉唱に続いて小菅団長が祭文を奏上し、全員で杉浦茂峰少尉の御霊の平安を祈念して黙祷しました。その後、小菅団長の献花、挨拶に続いて、儀仗の原隊長が軍隊式儀仗ラッパを奏上、最後に飛虎将軍廟の郭秋燕さんの挨拶で慰霊式を執り収めました。郭さんの勧めで煙草を献上し、杉浦少尉も満足された様でした。祭りの賑わいの中、多くの地元の皆さんに見送られてバスは廟を後にし、次の訪問先、高雄の保安堂へ向かいました。

保安堂前庭での最大規模の歓迎夕食会

保安堂でも多くの地元の皆さんが待っておられました。到着すると早速、慰霊式を斎行しました。国旗敬礼、国歌斉唱、小菅団長の祝詞奏上、黙祷に続き、保安堂とのご縁の深い松俵義博常任顧問の義弟の倉田光男班長が献花され、松俵顧問の意を汲んで挨拶され無事代理を務められました。また儀仗のラッパが奏上され、慰霊の誠を尽くしました。 平成25年の第15次台湾慰霊訪問の旅で、私たちは「38にっぽんぐんかん」の特定を依頼されました。そのため慰霊団では各方面に働きかけ、調査しましたが特定するまでには至りませんでした。しかし、有力情報として「38にっぽんぐんかん」は「第38号哨戒艇“蓬(よもぎ)”」で艦長、高田又男予備大尉以下145名ではないかというところまで辿り着き、翌年の第16次訪問の折、資料を添えて報告した次第でした。

その後、保安堂関係者による調査の結果、「第38号哨戒艇“蓬(よもぎ)”」の艦長、高田又男予備大尉以下145名の乗組員の名前が判明し、今年、保安堂建廟70余年を記念して海上招霊法会が実施されました。慰霊団も御神体「38にっぽんぐんかん」の縁起に大きく寄与することとなりました。

そのことも含め、慰霊式の後、初めて保安堂の前庭にて大規模な歓迎夕食会が開催されました。満月の下、前庭には20卓を越えるテーブルが所狭しと並べられ、各テーブルには地元の皆さんが数名づつ配されていました。主任委員の張吉雄氏が歓迎の挨拶をされ、小菅団長の答礼の挨拶の後、歓迎会はスタートしましたが、145名の名前の入った提灯、各人の名前の染め抜かれた幟旗がはためき、英霊を交えての大歓迎会となりました。美味しい手料理が次々と運ばれ、地元の沢山の皆さんと楽しく飲食、歓談し、時を忘れてのひと時でした。

明日の行程もありお暇乞いをし、堂の前で全員で記念撮影をし、宿泊先の華王大飯店へ帰りました。ホテルへ着くと、昨年までの保安堂の主任者であった趙麗恵さん達が待っておられ、一年振りの再会をロビーで喜び合いました。

(文責:原田和典)

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