第20次 帰朝報告

期間:平成30年11月22日(木)~11月26日(月)

参加者:73名

11月24日(土)

龍安寺「先鋒祠」を始めて訪問

3日目は朝食後、屏東の東龍宮へ向かいました。道路が混んでいなかったため、予定より1時間早く着きましたが、丁度この日は台湾の統一地方選挙の投票日で、東龍宮の皆さんが投票からまだ戻っておられず、近くにある龍安寺を訪れることにしました。

本堂の脇に「先鋒祠」があり、樋口勝見上等機関兵曹が祀られています。実はここは行程には組み込まれてはいませんでした。と、いうのも樋口兵曹は生前は台湾とご縁のない海軍軍人なのです。では、なぜ台湾の人は彼のために祠やご神体を造り、神として崇めているのでしょうか。

実は、樋口兵曹は昭和19年10月25日、レイテ沖海戦で散華した帝國海軍将兵でした。時が移り、昭和58年12月に遺族たちによってレイテ沖海戦の洋上慰霊祭が行われました。そこで海に投下された位牌が、2年弱の歳月を経て龍安寺のある枋寮に流れ着いたのです。その位牌を祀っているのが「先鋒祠」です。

ここで国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷を捧げて樋口兵曹の御霊の平安を祈念して手を合わせ回向しました。丁度、祠に居られた祠守の張さんから位牌発見当時のお話などを伺い、本堂の休憩室で甘味のご接待等を受け、お寺を後にしました。

東龍宮に着くと、お宮の皆さんが温かく出迎えて下さいました。早速慰霊式を斎行し、国旗敬礼、国歌斉唱に続いて小菅団長が祭文を奏上し、黙祷の後、大山副団長が献花、挨拶をし、儀仗のラッパで田中将軍の御霊をお慰めしました。最後に堂主の石羅界さんにご挨拶をいただき慰霊式を執り収めました。拝庭から見た日の丸、旭日旗、台湾の青天白日満地紅旗は、抜けるような青空に一際輝いていました。その後、石羅界様等と近くのレストランで海鮮料理の昼食に舌鼓を打ちました。

黄崑虎先生のご自宅 古蹟後壁黄家を訪問

昼食を終えた一行は、一路台南市の後壁にある古蹟後壁黄家を訪れました。この住宅は総統府国策顧問を務められた黄崑虎先生のご自宅です。諸外国の要人も訪れるという大変由緒ある建物です。大正15年(1926)に建てられ、福建様式の中庭(四合院)を持つ台湾で現存する数少ない住宅のひとつで、平成20年(2008)に台湾の文化資産として古蹟に指定されています。

当主の黄崑虎先生が一行を温かく出迎えて、住宅内部を案内して下さり、よどみない綺麗な日本語で丁寧に説明して下さいました。柱には家訓が掲げられ歴代当主の写真も飾られていました。

慰霊団では平成21年の第11次の折に訪問して以来、2度目の訪問でした。初めての訪問以来、黄文雄先生主催の歓迎夕食会で何度もご一緒させていただき、都度お誘いを受けていましたが、第20次という節目に当たる今回、ようやく再訪問することが出来ました。体調があまりすぐれないにも拘らず、快く訪問を受け入れて下さったのは、日本に強い愛着を抱いておられるからだろうと確信しました。 黄先生にお暇乞いをし、一行を乗せたバスは途中、休憩を兼ね竹山にあるお茶屋さんに立ち寄り、美味しいお茶を戴いたり、お土産にお茶を買い求めたりしました。その後、台中での台日友好協会主催の歓迎夕食会へ向かいました。

会場に着くと、何月桂会長以下会員の皆さんが拍手で迎えて下さり、二泊三日のBプランの7名の団員とも無事に合流ました。台日友好協会は女性中心の会員とその家族で、以前の胡順來氏の中日海交協会の時とは異なる雰囲気でした。何会長の歓迎の辞で開会し、会食は和やかに進みました。何会長は体調不良の中、無理を押しての参加で申し訳なく、早く快復され元気な姿を取り戻して欲しいと願わずにおれませんでした。会の皆さんと別れた後、宿泊先の全国大飯店に戻って深い眠りに就きました。

(文責:原田和典)

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