第15次 帰朝報告

期間:平成25年11月22日(金)~11月26日(火)

参加者:32名

11月25日(月)

軍人勅諭の「信義」を基調にした祭文に感銘

この日は慰霊訪問の最大の目的である「原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者大慰霊祭」に参列するため宝覚寺を訪れました。先ず境内の一隅にある日本人遺骨安置所(日本人墓地)前に整列し、1万4千余柱を慰霊するために慰霊式を斎行しました。お墓の周囲を簡単に清掃し、お酒と果物をお供えた後、国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷、献花 に続いて2人ずつお線香を上げて、ご冥福をお祈りしました。私たちの慰霊式を遠巻きに眺めておられた日本人観光客に焼香を勧めると、皆さん快く応じて下さり、50名近い方が線香を上げられ、御霊も草葉の陰で喜ばれたことと思います。

台湾のテレビ局が慰霊祭の模様を取材

その後「霊安故郷」の碑の前に移動し、慰霊祭に臨みました。今回も私たち訪問団が最多の団体で、遺族の方々の参列もめっきり減ってしまいました。10年後にはどうなっているかを想像すると、もっと若い世代の方が積極的にかかわって継承していかなければとの思いを今更ながら強くしました。ただ、台湾の放送局2社の記者が慰霊祭を取材していましたので、それが台湾全土に放映されれば関心も高まり、状況は好転するのではと期待しています。

主宰者を代表して台灣台日海交會の簡會長が挨拶をされた後、ご遺族代表、小菅団長の挨拶が続き、最後に団長の祭文奏上となりました。今年の祭文は、70年前の大東亜会議で採択された共同宣言を冒頭に引き、この理念の下にアジアの解放のために戦い散華された3万3千余柱の英霊を顕彰する格調の高い内容で、多くの参列者に感銘を与えました。

慰霊祭が終わると、台湾の皆さんを交えて記念写真を撮り、境内を散策した後、歓迎昼食会までの小一時間、多くの市民で賑わう台中公園をそぞろ歩きしました。昼食会場に着くと、病気療養中の中日海交協会の胡順來会長に代わって、何月桂副会長が笑顔で出迎えて下さいました。一時開催を心配しましたが、皆さん急なことで大変だっただろうと推察できますが、例年と変わらぬ接待をしていただいたことに感謝しております。歓迎会の途中で胡会長の奥様が脚が悪いにもかかわらず、顔を出され、一言の弁解もなしにただ「すみません」と謝れたのを見て、昔の日本人女性の気質を垣間見た思いでした。林政徳さんのアコーディオンも加わり大いに盛り上がりを見せましたが、名残りを惜しみつつ、次の訪問地である濟化宮を目指して出発しました。

山奥の濟化宮にエレベーターが設置

新竹縣の山の中にある濟化宮に着いたのは16時頃で、今年も明るい時に訪問できてホッとしました。バスを降りると、濟化宮の方が「エレベーターでどうぞ」と声を掛けられました。何と今年は脚の悪い方でも参拝できるようにと、エレベーターが設置されていたのです。早速、エレベーターに乗って昇ると本当に楽でした。謝鏡清董事長の案内で本殿まで行き参拝しましたが、今年は永田常任顧問ご夫妻が2人で「九段の櫻」を献詠され、息の合った吟詠がご英霊の何よりの供養になったことと思いました。その後、靖國神社から分祀された4万余柱の霊璽を拝見させていただき、社務所前でいつものお餅とお茶を美味しくいただきました。宮前の小さな土産物屋に立ち寄ってちょっとした買い物をし、新幹線の新竹駅へと向かいました。台北市内の渋滞を避けるために、昨年から新幹線を利用することにしましたが、正解でした。19時丁度に台北駅に到着し、専用バスに乗り換えて時間通りに台日文化經濟協會主催の歓迎夕食会会場に着きました。

木村副団長の「天皇陛下万歳」で締め

会場の逸郷園には黄天麟会長の他数名の役員の方が待っておられ、1年振りの再会を喜び合いました。会食は和やかな雰囲気で行われ、今年はカラオケも加わり、小菅団長も台湾語と北京語で台湾の歌を2曲披露して喝采を浴びました。蔡永興氏が団員一人ひとりに自著の歌集を贈呈されるなど、いつもの細かい配慮に感心しました。最後は木村秀人副団長の万歳三唱で締めようということになり、「天皇陛下万歳、台湾國万歳、訪問団万歳」で見事に締まりました。

会場を後にした一行は、宿泊先の慶泰大飯店にチェックインした後、足裏マッサージや夜市見学に希望者は繰り出しました。夜市見学組は有名な士林夜市に行きましたが、再開発の関係で場所が一部移転していましたが、熱気は全然変わりなく、今年も台湾のパワーをいただいて帰りました。

(文責:原田和典)

帰朝報告の系譜

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