第19次 帰朝報告
期間:平成29年11月22日(水)~11月26日(日)
参加者:62名
11月25日(土)
大勢の日本人観光客も焼香
今回の慰霊訪問の旅の最大の目的である台湾台日海交会主催の「原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者大慰霊祭」に参列するため、ホテルを出発して宝覚寺へ向かいました。
到着すると、日章旗を先頭に隊列を組んで入場し、先ず境内の一角にある日本人遺骨安置所(日本人墓地)で慰霊式を斎行しました。墓前に整列し、国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷、献花に続いて、原田泰宏団長代行が追悼の挨拶をされ、その後、団員全員でお線香をあげ回向しました。私たち一行を取り囲み、慰霊式を見守っておられた日本人観光客の皆さんにお声を掛けると、多くの方々が一緒に献香して下さり、同じ日本人としてこの日本人墓地の存在を知っていただき、台湾の地で亡くなられた多くの先達のことを心に留め置いていただければと思いました。
年に一度の台湾の家族親類に会える日
慰霊式を終え霊安故郷碑前での慰霊祭の席に着くと、昨年にも増してご遺族の皆様の少なさと参加者の高齢化をひしひしと感じました。
慰霊祭は、儀仗の喇叭で開始され、日台両国の国旗掲揚、国歌斉唱、軍艦旗掲揚に続いて、周良仁台湾台日海交会会長の挨拶、献香、献花、献果と進み、小菅団長による祭文奏上が行なわれました。厳粛な慰霊祭は「海ゆかば」を全員で合唱して終わりましたが、参加された団員の目には感涙が溢れていました。年に一度の参拝ですが、もし私たち慰霊訪問団がなくなれば、この慰霊祭の継続も難しく、時間とともに茲に眠る三万三千余柱の御霊も忘れられてしまうのも必至です。台北で林阿勇氏に「今は小菅団長のおかげで慰霊祭も何とか斎行できているが、団長も70歳になり、いつ何があるかわからない。早く若い人達が将来を考えておきなさい」と言われたことを思い出し、慰霊訪問団の責務を痛感した次第です。
その後、台湾の皆さんと一緒に記念写真を撮り、境内を散策、台中市内の孔子廟を見学して、台湾台日海交会主催の歓迎昼食会に臨みました。会場に着くと台湾の皆さんがお揃いで、熱烈な歓迎をして下さいました。周良仁会長の主催者挨拶、小菅団長の答礼の挨拶の後、開宴となり、各テーブルで話に花が咲きました。昨年までは、前夜祭としての夕食会でしたが、高齢や遠への配慮もあってのことでしょうけれども、今年から昼食会に変更になりましたが、これまで以上に歓迎していただき、感謝の念に堪えません。この次にお会いできるのは1年後ということで、名残惜しい限りでしたが、次の訪問先が新竹の濟化宮と遠方のため、2時間の会食でお暇乞いをしました。
台中を出発して2時間程で濟化宮に到着しました。お宮では謝鏡清董事長とお宮の皆さんが笑顔で出迎えて下さいました。本殿の前で小菅団長が祝詞を奏上し、全員で二礼二拍手一拝でお参りした後、香川県から参加の虫本隆夫氏が「今回3名の方と参加したが、今後も縁のある人を誘って参加したい」と挨拶され、献花式を終えました。その後、靖國神社から分祀された四万余柱の霊璽を拝見させていただき、ご英霊に感謝の誠を捧げました。
社務所前でお茶とお餅のお接待を受け、山門で記念写真を撮った一行は、バスで新竹駅に向かい、新幹線に乗り換え、台北駅到着後に黄文雄先生主催の歓迎夕食会会場を目指しました。
慰霊訪問事業の最強の支援者 黄文雄先生
会場に着くと既に黄文雄先生をはじめ、この日のために海外から帰国された方や台湾の各界を代表する方々が待っておられました。黄先生は、平成25年の第15次訪問より、訪問団の日程に合わせわざわざ日本から台湾に来られ、数多くの台湾の政治家・文化人等との交流の場を準備して下さっています。こういう多士済々の方々とご一緒できるのも黄先生のお陰だと感謝すると同時に、黄先生の人脈の広さに敬服させられます。
黄先生の歓迎の言葉に続いて、元駐日経済文化代表處代表の羅福全氏が、いろいろなエピソードを交えて挨拶され、小菅団長の答礼の辞の後、黄天麟台日文化経済協会会長の乾杯で開宴となりました。台湾の著名な方々ばかりですので、政治、経済、文化など各方面の話題に話がおよび、大いに盛り上がり時間を忘れて有意義なひと時を過ごしました。歓談が一息ついたところでお開きとなり、この日の宿泊先である三徳大飯店に帰り、各自、マッサージや夜市見学を楽しみ、深い眠りにつきました。
(文責:原田和典)