第19次 帰朝報告

期間:平成29年11月22日(水)~11月26日(日)

参加者:62名

11月24日(金)

バシー海峡に向って菊の花を献花

3日目のこの日は、高雄から更に南下して、台湾最南端の鵝鑾鼻岬を目指しました。専用バスで3時間弱で鵝鑾鼻岬に到着、眼前には紺碧の海が広がっていました。打ち寄せる波濤のすぐ傍らで、大東亜戦争末期に米国潜水艦や爆撃機によって、今なおバシー海峡の海底深くに眠られているご英霊を鎮魂するための献花式を執り行いました。バシー海峡に向って黙祷を捧げた後、団員一人ひとりが波間に菊の花を投下し、献花を行い、沖縄から参加された山城竜治氏が追悼の挨拶をされて献花式を終えました。海岸で遊んでいた台湾の皆様も私たちの献花の様子を暖かく見守っておられました。

暴風の中で慰霊式を斎行

その後、鵝鑾鼻灯台のある鵝鑾鼻公園を散策し、猫鼻頭の海岸に漂着したご遺体を手厚く供養している潮音寺に於いて慰霊式を斎行しました。立っているのがやっとといえる程の強風が吹き荒ぶ中、国旗が吹き飛ばされないようにと必死で支えている中学2年生と小学6年生の茅野櫻さん、慧さん姉妹が見守る中、小菅団長が祭文を奏上し、富原副団長が慰霊の言葉を捧げて式を終えました。本堂で献花をし、お参りをし、長嶺保介氏の慰霊訪問の旅への参加の感想を交えた挨拶で潮音寺の訪問を締めくくりました。

拝庭の完成した東龍宮 鳥居と田中将軍記念館を新設

次の訪問地、東龍宮に到着すると宮主の石羅界さんをはじめ、地元の皆さんが「歓迎」の電光掲示板と共に温かく出迎えて下さいました。第15次訪問の折、団員全員で鍬入れを行なった拝庭の増築工事も終わり、更に立派な外観に変わっており、皆さんの信仰の篤さをひしひしと感じました。私たちが忘れてはならないことは、田中綱常がこの枋寮の地で田中将軍となり、或いは田中元帥と称され、石宮主により廟が開かれ、世を治め民を教化し、台湾の民衆のために災いを治め、厄を解き、願いを成就させる「神」として祀られていることです。そればかりか、石宮主は神の声に従い、資料を調査し、田中綱常が実在した人であることを知り、その故郷を訪ね、埋葬地を訪れ、子孫を探すことに尽力し、ついに4代目子孫との運命的邂逅を果しました。また北川直征伍長も探しあて、今年4月には、田中家、北川家の両家族がここ東龍宮を参拝し、145年の月日を経て、再び「生命の絆」が繋がれたと伺いました。

御祭神である田中綱常将軍の御霊の平安を祷り、祭文を奏上し、慰霊式を執り行いましたが、団員の多くは何度も目頭をぬぐっておられました。慰霊式後は、新しく設けられた小さな鳥居と御社、田中記念館などを見学し、用意されたフルーツなどを美味しくいただきながら、時を忘れて寛ぎました。

爆竹の音に送られて東龍宮を後にした一行は、一路台中での慰霊団主催の交歓夕食会の会場へと急ぎました。

会場には、ここで合流のBプランの団員5名と台湾支部の事務局員、蔡淑如、蔡詠福兄妹、それに事前の呼掛けに応じて下さった台湾の皆様15名が既に待っておられ、更に慰霊式、慰霊祭にご協力いただいている甲飛喇叭隊第十一分隊を率いる原知崇氏以下5名の皆様が加わり、準備した8テーブルが満席となりました。小菅団長の挨拶や台湾の皆様の紹介を経て開宴となりましたが、懐かしい顔ぶれの方も多く、各テーブルで談笑の輪が広がり、軍歌や日本歌謡などあっという間に時が過ぎ、レストランの閉店時間を越えるまで賑わいました。名残を惜しみつつ、来年の再会を約してバスに乗り込み、宿泊先の全国大飯店に帰りました。

(文責:原田和典)

帰朝報告の系譜

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