第13次 帰朝報告
期間:平成23年11月22日(火)~11月26日(土)
参加者:45名
11月24日(木)
3日目の最初の訪問先は高雄市内にある保安堂でした。9時前に到着すると、趙恵麗さんをはじめ地元の方々が10数名朝早くから歓迎の準備をして待っておられました。早速整列して、国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷、献花、団長の挨拶と慰霊式を執り行い、建設中の廟の見学をしました。昨年は夜だったのでよく見えませんでしたが、今年は明るい日差しの下じっくりと見て回りました。建物はほぼ出来上がっており、内部も松俵義博常任顧問が奉納された龍柱が堂々と立っていて、その立派さに感銘を受けました。1日も早い竣工が待ち望まれます。見学を終えた後、いつものぜんざいや茶菓で接待を受け、地元の方々と談笑してしばし時を忘れました。廟を背景に記念撮影をし、来年の再会を約してお暇乞いをしました。
保安堂を後にした一行は次の訪問地烏山頭水庫へ向かい、まず八田與一ご夫妻の墓所に到着しました。昨年にも増して整備されたお墓の前で、国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷を行い、谷尾侃名誉顧問がお花を供えられ、八田技師の偉業を偲びました。その後全員がお線香を上げてご夫妻のご冥福をお祈りした後、八田與一記念館へ向かいました。ここで、記念館で技師の偉業を紹介するDVDを観るグループと、ダムの中腹にある殉工碑をお参りするグループに分かれました。殉工碑に行くには急な階段を登る必要があるので、ご年配の方は遠慮されるであろうと思っていたのですが、豈図らんや、陸士第58期生の80代の皆様が参列され、戦争を体験された方は戦後生れの私達とはやはり違うと感嘆した次第でした。殉工碑の前で献花式を終えると、記念館グループと合流し、公園内にあるレストランで昼食を済ませ、ダムの湖畔を訪れました。コンクリートではなく土を利用した特殊な工法で造られた壮大な人造湖を眼下にして、ガイドの簡さんと建設会社を経営されている松俵常任顧問の説明を聞きながら、改めて八田技師の先見の明と意思力の強さを感じました。
次に訪れたのは昨年新しく造られた八田與一記念公園で、初めての所です。八田技師がダム建設に取り組んでいた当時の建物を再現したもので、広い公園敷地内に技師の住居も建てられており、つつましい生活振りを垣間見ることができました。今後更に整備が進められ、新名所になって訪れる人が増えて、技師への評価が高まってゆくことを期待しています。
烏山頭水庫を後にした一行は台中市政府(市役所)で、この日日本を発った2泊3日の乙グループ7名の団員と合流しました。新築されて間もない庁舎は銀色に光り輝く立派なもので、その威容に圧倒されました。合流して勢揃いした45名は隊列を組んで庁舎内に入り、昨年実現しなかった表敬訪問を果たしました。通された会場は、市政府のトップクラスの人が利用する一番立派な部屋で、破格の待遇でした。接待して下さったのは蔡炳坤副市長で、中学校の校長出身で実直な方でした。歓迎の挨拶の中で、12年前の台湾中部の大地震の際に日本の救助隊が一番最初に駆けつけてくれたことを台湾の人は忘れておらず、台中市民が義捐活動を開始すると僅か2時間で800万円集まったことを紹介されました。これに対し小菅団長は、大震災に対する世界一の援助の淵源は、50年間の日本統治時代の先人の努力にあり、日本と台湾は地下水でつながった兄弟国であって、八田與一の功績を今尚顕彰し続けて下さることに敬意を表しますと答礼の挨拶で述べ、乙グループの金澤明夫副団長に持って来てもらった「復興支援感謝」の手拭いを贈呈して応えました。
小一時間の表敬訪問を無事終えると、台湾台日海交会主催の歓迎夕食会に臨みました。会場に着くと、簡朝陽新会長の代理として林徳華前会長が会員の皆様と待っておられました。林前会長の開会の挨拶に続いて、小菅団長、石川県海交会の湊氏が挨拶をされて開宴となりました。顔馴染の方が多いこともあってすぐに全員打ち解けて酒盃を重ねました。元従軍看護婦だった女性の皆さんが、嬉しそうに昔の日本の歌を歌われていたのが印象的で、いつまでも長生きして、歌声を聞かせてほしいと目頭が熱くなりました。翌日の宝覚寺での再会を約して海交会の皆さんと別れた後、宿泊先の全国大飯店で深い眠りにつきました。
(文責:原田和典)