団員の声(感想文)

郷土佐渡の後輩としての慰霊の旅

第五班 新垣班 本間潤子

私は夫の祖母がまだ健在だった頃、「弟の奥さんは台湾総督もした中川健蔵さんの奥さんの姉だよ」と聞きました。また隣家の「熊野神社」の奥さんから「義父さんは戦前台湾で神社を建てていて本間雅晴中将も参拝に来られ″戦勝祈願″をした」と聞きました。それで一度台湾へ行ってみたいが、ただの観光旅行ではつまらないと思っていたところ、月刊誌『正論』で「日華(台)親善友好慰霊訪問団募集」の広告を見て応募しました。

台湾は親日的だと聞いていましたが想像以上で、行く先々での台湾の方々の熱いもてなしに感動致しました。昭和2年に完成した台湾総督府が今日も使われていて、歴代の台湾総督の写真が飾られている中に中川健蔵さんの写真を見た時は嬉しくて感激しました。日本の50年に及ぶ領有支配がすべて肯定されている訳ではないでしょうが、「教育、産業振興、鉄道整備、衛生整備の面等で台湾の人達を指導した事が、今日の台湾の繁栄の基礎になっている」と客観的に評価して下さる事に感謝致しました。また、本間雅晴中将作詞の「台湾軍の歌」を、台湾の人達も多勢で歌って下さった事にも感激しました。佐渡の人で歌える人は一人もいないでしょう。

本間将軍は台湾の高砂族等の若い人達を編成し、台湾軍の彼らはフィリピンやニューギニア等で勇敢に戦い、3万人以上の戦死者を出したという話を聞いて心が痛みました。本間将軍は「かくありて 許さるべきや 密林のかなたに消えし 戦友(とも)を思えば」という歌を詠まれたそうですが、郷土佐渡の後輩である私達も「せめて慰霊だけでもしたい」という思いを強くしました。

佐渡の家へ帰った翌日、台湾土産をもって隣家の「熊野神社」の奥さんを訪ね話を聞いて貰いました。宮司をしているご主人は台湾育ちで、お母さんは台湾の小学校の先生をしていたそうです。来年は一緒に慰霊の旅に行きたいと言われていました。佐渡からは、学校の先生になったり、製糖会社に勤めていたりして多勢働きに行っていたそうです。そういう人達にも私の「慰霊の旅」の体験を話してみようと思います。

第17次 団員の声(感想文)全11件

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