団員の声(感想文)
「霊安故郷」
副団長 田中道夫
台中市寶覺寺に台湾人元日本兵の「霊安故郷」の記念碑・慰霊があります(もう一箇所、新北市烏來にあります)。先の大戦で、台湾人元日本兵は南洋諸島で多くの戦死者を出しました。ここ寶覺寺は台湾人元日本兵軍人軍属3万3千余柱の御霊を祀る寺社です。
明治28年から大東亜戦争終結までの約50年の間、台湾は日本の一部であったという歴史は皆さんご存知かと思います。昭和16年に大東亜戦争が始まると、我が国が危急存亡の時であると、日本人として日本教育を受けた愛国熱血溢れる台湾青年は、我れ先にと日本軍人軍属に志願し南洋各地に駆けつけました。その数は20数万にものぼるとの事です。これらの熱血溢れる台湾聖年は、忠勇無双の日本兵と生死を共に南洋各地の戦場で奮戦し、国の為に華々しく散華なされました。元日本兵軍人軍属の台湾人は3万3千余柱にものぼっています。その中で2万7千余柱の英霊はありがたくも靖國神社に奉祀なされましたが、終戦前に戦死なされた6千余柱の英霊は、靖國神社に奉祀する事に間に合わず、南洋各地に無宿の野鬼となり漂っています。そして、日本は大東亜戦争に負けました。時は昭和20年8月15日です。台湾は一夜にして中国国民党政府の管轄を長い時間受けることとなり、また戦後台湾に戻ってきても、台湾はすでに中華民國、つまり日本を敵として戦った国民党の国になっていました。そして日本軍人として、あるいは日本軍のもとで戦ってきた台湾人元日本兵軍人軍属は、祖国台湾ではもちろん英雄視されることはありませんでしたし、歓迎もされませんでした。負傷して生還した人たちも、戦死した人のご遺族も長い間、自分の事や親類の事、友人の事を語れず、誇りに思うことすら出来ずにひっそりと暮らしてきたわけです。
今、終戦70年ですが現在の日本と台湾は、こうした台湾の若き青年達が、家族も作ることさえ出来ず、日本人として戦い、未来の日本と台湾の為に、ひとつしかない命を懸けたからこその『今』を決して忘れてはなりません。
私はこの慰霊の旅で、現在の台湾社会で特に若い青年たちはこの事を知り、どのように理解されているのか知りたく思います。また日本においては更に戦争を知る方々も高齢を迎え、日本の若い青年たちが知る機会がそうそう無いという現状にもまた憂いが募ります。散華された元日本兵軍人軍属として戦ってきた台湾人の名誉と誇りを取り戻されることを望みます。(英霊よ、安らかに故郷へ)
日本と台湾との絆はこうした歴史の中で紡がれてきたと思います。我々訪問団の目的は「慰霊」です。そこで真の慰霊とは何かと気付くのに14年かかりました(第3次から参加)。それは、先人達が築き上げてきた礎をしっかりと未来へと継承させていくことだと考えます。
来年1月16日の総統選挙により、台湾は大きく変革を遂げる事と確信しています。慰霊と感謝の旅は終わりました。
合掌
第17次 団員の声(感想文)全11件
- 日台友好議員連盟設立への契機(横尾秋洋)
- 台灣との絆より深く(松俵義博・松俵茂子)
- 「霊安故郷」(田中道夫)
- 教育勅語や古事記を諳んじる日本語世代(岩重誠)
- 感謝と感動の慰霊訪問(冨田昇一)
- 世界一の親日国・台湾に感謝(平尾文洋)
- 自らの目で見、耳で聞き体験できた慰霊訪問(中山雄夫)
- 台湾慰霊訪問で思ったこと(中野一則)
- 家族が帰って来たように歓迎(新開崇司)
- それぞれの立場で日台共栄のために活動を(竹下尚志)
- 郷土佐渡の後輩としての慰霊の旅(本間潤子)