団員の声(感想文)
感謝と感動の慰霊訪問
第三班 副班長 冨田昇一
今回の慰霊訪問の旅では、初めての参加にもかかわらず小菅団長はじめ団員の皆様から本当に温かく迎えて戴き、また多くの示唆に富んだお話、良きアドバイス、そして懇切な御説明をして下さいまして、心から感謝申し上げます。
【慰霊訪問参加の経緯】
(1)台湾に関しては以前から大変親日的な国であり、東日本大震災時にどこの国よりも多額の義捐金を出して頂いた国ということで、家内ともども友好的な国だと認識していました。以前に台湾各地を訪れましたが、現地では友好的な雰囲気を少しは感じることは出来ましたが、何かある種の物足りなさを払拭できませんでした。
(2)本年6月23日の産經新聞の紙上で「台湾特別講演会」のことを知り、強く興味を引くものがあって出席しました。この時に第17次の慰霊訪問の旅の案内についてお聞きして、訪問の内容に関し心の琴線にふれるものがあって参加を決めました。
【慰霊訪問の準備】
(1)5日間の日台の親善と友好の慰霊訪問が目的で渡台するわけですから、台湾の歴史や日本との関係等について参考資料、図書から自分なりに少しでも学習して知識面の準備をしました。
(2)台湾の歴史の中で、日本統治時代に児玉源太郎先生が第7代の総督に在任されています。総督時代には部下の後藤新平先生と共に鉄道、港湾のインフラ整備、医療、衛生の改善等、大事業を成し遂げ台湾近代化の基礎を築かれたことを知り、心から賛嘆し感激しました。私の住む周南市徳山の地に生誕された児玉先生の、台湾における総督時代の耀かしい業績を今まで知らなかったことを愧じた次第です。児玉先生は正に台湾の近代化を推進した功績者の1人であり、我が郷土への誇りの思いを新たにしました。
(3)私事で恐縮ですが、台湾訪問の前に自宅からそれ程遠くない所に児玉先生を祀っている児玉神社にお参りして"素晴らしい訪問になること"と"道中の安全"を祈念しました。この時、私の心の奥底に児玉先生が「台湾をしっかり観て、台湾の人の話をよく聴いて来い」という言葉が聞こえた様なちょっと不思議な感じがしました。この訪問では団員としてしっかりと慰霊と親善・友好を果たそうと肝に銘じた次第です。
(参考)児玉源太郎―長州藩の支藩である徳山藩の貧しい藩士の家に生まれながら、後年、明治陸軍の巨星としてその名を轟かせた英傑です。時に日露戦争の満州軍総参謀長として手腕を発揮、日本を勝利に導いた陸軍きっての名戦略家です。
【魂に染みいる慰霊】
(1)異国の地における全ての訪問先で御供養・鎮魂を現地の縁のある人、団長はじめ団員の皆様と一緒に厳粛に出来ましたのは、何ものにも変えられない得難い体験でした。最初に「君が代」を奉唱することの素晴らしさは筆舌に尽くせず、心の底から歓喜を覚えました。「君が代」に続き、丁重な黙祷、献花そして御挨拶が終了しました後の清清しさが、心の中に清冽な水が滲み出て満たされる様な気持ちとなって、この訪問の旅に参加出来た「有り難さ」と「感謝の念」が自ずと浮かびました。
(2)全ての慰霊訪問先で感銘を受けましたが、2ヶ所での慰霊について少し感じたことを述べてみたいと思います。
はじめは、南天山濟化宮での慰霊ですが、まさしく驚天動地の慰霊の場所であり、感に堪えない参拝でした。11月25日の午後の訪問は台中市内で台湾中日海交協会様による歓迎昼食会の後、私たち一行はバスで高速道路と一般道路を乗りついで新竹県北埔と云う山あいにある濟化宮へ向かいました。一般道路からは細く曲がりくねった道を進み、途中、オレンジ色が鮮やかな多数のミカンのなっている木々を見ながら走りました。午後3時40分頃、突然車外から歓迎の爆竹の破裂音が聞こえたので濟化宮に到着したことに気付きました。
今、ここ台湾の靖國神社と称せられる英霊の聖地に立っていることの感動で胸が一杯になりました。荘厳な慰霊式典の後、27,593柱の英霊をお祀りしているお堂の中を見た時は驚嘆してしまいました。「霊璽」と記載された位牌に日本名が書かれているのを見た瞬間、台湾の方の英霊に対する強い敬意と尊崇の気持ちを肌で感じ取りました。暫くの間、祖国と日本の為に尽力された膨大な数のご位牌の前で低頭するのみでした。たまたま、沖縄から来られている我那覇さんと一緒に堂内を廻ることになり、2人ともお互いに「素晴らしい、素晴らしい」という感嘆の言葉だけを発する見学となりました。
そして堂の玄関の所では地元の濟化宮を管理されていると思われる方が、"きなこ"の入った大皿にお餅を手で小さく丸めて入れられて、我々一行に接待して下さいました。何とこのお餅の美味しかったこと!その後、新幹線の新竹駅から既に暗くなった首都台北の街に戻りました。
(3)次に11月23日の午後に訪問した慰霊場所は、高雄市から50km程東南にある屏東県枋寮という町にあります。ここのお宮は東龍宮と呼ばれ、田中将軍廟とも称せられています。そして主神の田中綱常将軍が真中に鎮座され、両隣に2人の女性の将軍と2人の男性の将軍が並んで坐っておられます。5人の神様は全て日本人です。宮主は石羅界と云う台湾の方で、この場所に御自分で寄付と私財を捻出されて、長期に亙り廟を建立されて来た様です。未だお宮の前方部分の階段や床は剥き出しのコンクリート張りのままで完成には至ってませんが、今後も工事を継続されるとのことでした。
石さんは厳しい状況の中で5人の散華された日本人をお祀りするお宮を造って来られ、管理されているそうで、そのお姿からお宮の五神への深い愛情と、並々ならぬ敬神の熱意をお持ちであることを強く感じました。また車内で戴いた資料に書かれているお宮の創建の経緯と石さんの相貌、そして御挨拶の言葉から察しますと、石さんは大変霊感が利いて、魂の高い篤信家ではないかと想像するに難くはありませんでした。
この台湾南方の地にこの様な実に素晴らしい方がいらっしゃったからこそ、この地に立派な神社が出来、また、祖国に尽くされた私たち大先輩の英霊を神様として慰霊されていることが連綿と続いていることに、素直に感謝の気持ちが湧き感動しました。石さんたちがお祀りされていることは偶然ではなく、何か人智では計り知れない摩訶不思議な力が働き、石さんに天降ってきてこのお宮が出来、且つ続いている事実に思いが到りました。そして、常日頃より石さん及び関係する皆様がこのお宮を大切に管理、お守りして下さっていることは日本人として誠に有り難いことであり、「万分の一のお返しでも出来ないものか」との思いが五神に合掌している時に、ふっと私の心の中を掠めました。最後に美味しい果物とお土産を頂き、地元の皆様の笑顔と爆竹の音に見送られて、この聖地を後にしました。
(4)慰霊訪問を続けている途中から「慰霊」の本質は何であろうかと云う思いが湧いて来ました。そこで私なりに「慰霊」について考えたことを少し述べさせて戴きます。
辞書によると「慰霊」とは"死んだ人の霊魂を慰めること"となっていますが、これではよく分かりません。そこで、霊は魂のことで、生きている人、死んだ人にそれぞれ霊があると考えます。亡くなった人は物質である肉体は無くなりますが、霊は存在し続けます。慰霊とは肉体のない物故者(死者)の霊魂に対して縁のある人々がお経を挙げたり(法施)、物を施したりする(物施)ことの一連の供養であると云えます。つまり私は供養することで「物故者との心の対話(交流)を通して、感謝と畏敬の気持ちを捧げることだ」と理解しました。
よって各々の訪問先での慰霊式に出席させて戴いた時は、団員の一員として心の真底から「君が代」奉唱をし、黙祷、献花、焼香の時には、物故者との心の対話を図る様に努めました。
以上より、団長はじめ私たち全員の団体参拝による慰霊の儀式によって歓ばれることに相成り、その歓びは再び私たちに反響して、実に爽やかで、心が澄み切った様な気持ちになるものと考えます。
今回の訪問は通常の旅に比べ、到底経験出来ない精神面の素晴らしさが、何十倍、何百倍に増える旅ではないでしょうか。
【台湾の人々との交流】
(1)台湾の人々との交流は桃園国際空港に到着後、多くの場面で始まり、色々な意味で心を打つ貴重な体験の連続でした。特に、慰霊訪問の旅行中で合計4回の昼食や夕食の歓迎会に招待して頂き、長年の旧友の様に友好的で心温まる懇親が出来ましたことは、生涯忘れられないものになりました。
(2)台湾訪問の前に、台湾の人々の日本及び日本人への考え方や捉え方が大変友好且つ親日的であるという根元について、書籍や講演等を通して少し思いを巡らしていました。台湾の方が友好で親日的である大きな理由は、先ず台湾統治時代に多くの日本人の為政者や多様な技術者、そして教育者等が台湾近代化の為、厳しい環境下でも誠心誠意で職務を遂行されている状況を、台湾の多くの方が目の当たりにされて、徐々にではあるが、日本人本来の美点である「日本精神」を学んで培われたこと。そしてその精神が連綿と継続されて行く過程で、日本と日本人への信頼関係が揺るぎないものとなり、お互いに信頼し合う愛日的な風土が醸成されてきたことではないかと考えました。
(3)実際に体験した一例を申しますと、11月24日の台湾台日海交会様による夕食会において、私の隣席におられた台湾の方と食事をしながらお話を伺った時、「私は戦前(大東亜戦争前)に日本の横須賀に行きセイコーの時計会社で働きましたが、辛いこともあったが勉強になったことや楽しいことも沢山ありましたよ」と昔のことを懐かしみながら楽しそうに仰いました。そして素直に日本の方には大変強く親しみを持っているという所作をされてから、握手を交わし肩を抱き合った瞬間に、熱いものが自然とこみ上げてくるのを禁じ得ませんでした。
(4)台湾の人々の日本人への思いと、私が日本にいて知り得た知識とが、今回の訪問先の現地に於いて全く同じものと分かり、心の中で大きな喜びとなって広がって行きました。全ての交流会で同じような心持ちになれる、真に心が通い合う懇親の宴でした。
【特記的な事項】
慰霊訪問中に印象に残った事柄について述べたいと思います。
(1)車中での小菅団長の慰霊訪問の経緯を伺いまして、今回は17回目と云う長きに亙り、輝かしい内容のある慰霊訪問が続いている背景には、初期の段階で幾多の難しい課題を克服なされてこの様な形の訪問団を創られたと推察されます。今回の意義ある訪問団に参加出来ましたことは、団長はじめ関与された皆様の御苦労の賜物と思い心から感謝いたします。
(2)団長が車中で今回の慰霊訪問について次の3項目を挙げられ、非常に良いものになると仰いました。すなわち、①本年は台湾が日本になってから120年目に当たり、日清講和条約の条文に「清国は台湾を永遠に割与する」ことが明記されていると言われました。〈この言葉は非常に強い"日台の矢"が私の胸に突き刺さったような衝撃を受け考えさせられました〉②来年1月に台湾の総統選挙があり、蔡英文氏がほぼ当選出来ると見られ、国民党政権の最後の年になるであろう。この最後の年に台湾に訪問出来ることは意味があるとも言われました。〈かねてから、台湾の現政権の最後と言える悪あがきを苦々しく思っていましたので、政権が転換される期待は非常に大です〉③この訪問では、佐渡の本間さんと一緒に参加出来たことです。本間中将様の御親戚の方です。本間中将は大東亜戦争中、フィリピン方面で御活躍された英傑とも言われました。〈この訪問中、遠方から来られた本間さんのご挨拶をお聞きしたり、直接お話をすることができましたことは望外の喜びでした。感謝いたします〉
(注)〈 〉内は私が感じた点です。
(3)訪問途中のバスの車中で、松俵常任顧問が、産經新聞は大変良い新聞ですから購読する様に何回も薦められていました。本当に素晴らしい新聞です。私も産經新聞を読むことに大賛成です。私事になりますが、結婚してから今迄、産經新聞を41年間購読しています。この間、産經が山口県で販売を中止した期間が確か10年程あり、このため料金が高い2~3日遅れの産經を大阪の販売所から毎日郵送してもらい読んでいたことを懐かしく思い出しました。今は山口でも購買出来ます。なお、昨年私の友人に対して朝日から産經に変更する様に半年くらいかけて根気よく説得した所、現在、産經を読んでもらっています。
(4)慰霊という観点から、私の住む周南市に関係する人間魚雷「回天」について少し記したいと存じ上げます。
大東亜戦争の末期、"天を回らし、戦局を逆転させる"という願いを込めて、「回天」という人間魚雷が誕生しました。これは、魚雷の頭部に爆薬を搭載し、隊員自らが操縦して敵艦に体当たりするという特攻兵器です。隊員の訓練基地が置かれたのが周南市徳山から海上約10km南にある大津島という島です。この島には、全国から20歳前後の精鋭たちが集まり、毎日厳しい訓練を繰り返していました。そして窮地に立つ祖国を守るため、多くの若者がここから出撃して行きました。回天による戦没者は搭乗員、整備員他の145名の英霊です。また平均年齢は21.1歳の若さでした。ちなみに回天の設備仕様は、推進馬力550馬力、最高速度30ノット、全長約15メートル、全重量8.3トン、搭載爆薬重量1.6トンです。
台湾訪問から帰国して旅の感想文を書く段に、祖国を愛する若者の戦争時の足跡が私の街にあることを思い出して、どうしても一言書かなくてはいけないような気持ちに駆られて記載しました。尚、毎年10月にこの大津島で慰霊式が開催されており、私事になりますが、この式に出席させてもらい先人達の英霊にお参りをしています。
さて、この島には回天記念館、訓練用発射基地、回天の原寸大の模型、そして英霊の石碑等があり、大変風光明媚な所です。山口方面に来られる機会がありましたら、是非ご連絡下さい。回天ゆかりの大津島、児玉神社他をご案内いたします。
(おわりに)最後になりますが、今回このような素晴らしい日華(台)親善友好慰霊訪問団に参加させて戴く機会を持てましたので、これを契機にして今後の私自身の取り組み方を若干考えてみました。1つは我が街は幸いなことに台湾と関係の深い児玉源太郎先生の出身地です。そこで、市のボランティアガイドを通して児玉先生の日露戦争での活躍とともに、台湾の近代化の礎を確立された業績を導入部とし、日台の真の素晴らしい絆、台湾人の"日本精神"の継承等を市民(特に若い人)及び一般の人々に伝えて行くことを検討し、実践につなげたいと考えています。
2つ目は個人的に友人等に対し、今回の訪問で知り得た事(特に台湾人の親日的である本質をベースとしたもの)を啓蒙する努力をしたいと思っています。
慰霊訪問の5日間に亙り、親愛なる台湾の人々そして小菅団長様はじめ団員の皆様とは本当に親密にならせて戴き、実に有意義な旅が出来ました。心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
第17次 団員の声(感想文)全11件
- 日台友好議員連盟設立への契機(横尾秋洋)
- 台灣との絆より深く(松俵義博・松俵茂子)
- 「霊安故郷」(田中道夫)
- 教育勅語や古事記を諳んじる日本語世代(岩重誠)
- 感謝と感動の慰霊訪問(冨田昇一)
- 世界一の親日国・台湾に感謝(平尾文洋)
- 自らの目で見、耳で聞き体験できた慰霊訪問(中山雄夫)
- 台湾慰霊訪問で思ったこと(中野一則)
- 家族が帰って来たように歓迎(新開崇司)
- それぞれの立場で日台共栄のために活動を(竹下尚志)
- 郷土佐渡の後輩としての慰霊の旅(本間潤子)