第12次 帰朝報告

期間:平成22年11月22日(月)~11月26日(金)

参加者:46名

11月25日(木)

日本人観光客も一緒に焼香

昨日乙プランの団員と合流した一行は、大型バスとスタッフ車輌の2台で、慰霊訪問の最大の目的である「原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者大慰霊祭」に参列するため宝覚寺へ向いました。門前に飾られた慰霊団の花輪の前を2列縦隊で行進して境内に入り、先ず日本人遺骨安置所(日本人墓地)において団独自の慰霊式を斎行しました、お酒と果物をお供えした後、国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷、献花、団長の挨拶に続いて2人ずつお線香を上げて、1万4千余柱のご冥福をお祈り申し上げました。私達の慰霊式を遠まきに見ておられた日本人観光客10数名にも声をかけて焼香してもらい、一緒に回向しました。記念写真の撮影には「日台の生命の絆」の横断幕の他に、林渓和さん愛用の横断幕を娘さんからお借りして、林さんの霊にも参加してもらいました。

その後、「霊安故郷」の碑の前の慰霊祭会場へ移動し、参列しました。今年も我々訪問団が最大の団体で、日台両国共に参列者の先細りが懸念されます。許世諧前駐日台湾代表もそのことを心配され、挨拶の中で「来年からはもっと沢山の台湾の若い人達を連れてきて、両国の交流の場を拡充していきたい」と述べられたのが心を打ちました。各団体の長の祭文奏上の中で、今年も小菅団長の祭文は、日台両国の歴史的なかかわりから昨今の緊迫した東アジア情勢を踏まえた上での、日台の絆の強化を力強く訴える格調高いもので、多くの参列者の共感を得ました。

慰霊祭が終ると、台湾の皆さんと一緒に記念写真を撮り、3万3千余柱の位牌や英魂観音亭、布袋様の大仏等を見学した後、懇親会場へと向かいました。会場には中日海交協会の皆さんがお揃いで、昨夜お土産をホテルへ届けて下さった胡順來会長の挨拶、小菅団長の答礼の挨拶の後、懇親会が開宴しました。酒盃を重ねるうちに宴は盛り上りを見せ、胡会長が今では珍しくなったアコーデオンを弾いてサービスして下さいました。1年振りの再会で話は尽きませんでしたが、名残を惜しみつつお暇乞いをしました。

感動的だった劉維添さんの話

ここで藤田達男東京支部長が合流され、総勢47名で、次の訪問地勧化堂を目指しました。勧化堂は今回初めて訪ねるところで、林阿勇さんが自分が案内するから、ぜひ寄ってほしいと懇願されて実現しました。苗栗縣の獅頭山中にある勧化堂は、フィリピンのマニラで台湾兵に帰国命令を発し、自ら生命を断った広枝警部をお祀りするお堂で、バスを降りると地面に水溜りができていたことから直前まで雨が降っていたようで、第4次訪問の芝山公園の時と同様、私達が到着すると雨がやむという不思議な現象に、ご英霊のご加護を感じました。階段を登って講話室に着くと、警部の命令を受けた台湾人の最後の生き残りの劉維添氏が黄錦源菫事長と待っておられ、原稿を手に当時のいきさつ等をかみしめるように日本語で語られました。警部への恩義がひしひしと伝わり、「最後の1人となった私が、命ある限りお祀り申し上げる」と語られるお姿に熱いものがこみ上げました。因みに、日本人の慰霊団では私達が初めてと聞き驚きました。感動的な講話を拝聴した後、本殿にお参りして下山しましたが、山上からの眺めは絶景で、丁度夕陽が沈みかけていて、オレンジ色の光が非常に神々しく、神秘的な雰囲気でした。

勧化堂を後にして、台湾の靖国神社濟化宮に着いた時は18時を回っていて、周囲は暗闇に包まれていましたが、山門の電飾と「歓迎訪問団」の電光掲示板が出迎えてくれました。予定よりも1時間以上遅れたにもかかわらず、謝鏡清菫事長らが待って下さっていました。早速本殿へ昇り、献花に続いて二礼二拍手一礼で参拝した後、永石辰郎氏が自筆の靖國神社の日本画を奉納されました。その後靖國神社から分紀された4万余のご英霊の霊璽を拝見させていただき、社務所の前でいつものお餅とお茶を美味しくいただきました。おそくまで接待していただいたお礼を述べ、来年の再会を約して下山し、台北市内へと向かいました。

夕食会場に着いたのは21時10分で、かなり遅れましたが、会場に新亞旅行社の社長とバス会社の担当者が、初日の不手際のお詫びに来られていました。2度とこういうことのないように確約してもらって帰っていただきました。夕食の後、初日同様紅乙女酒造の荒牧氏が2次会を設けて下さいましたので、希望者10名がご好意に甘え、台湾旅行最後の夜を満喫しました。

(文責:原田和典)

帰朝報告の系譜

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