第21次 帰朝報告
期間:令和元年11月22日(金)~11月26日(火)
参加者:75名
11月24日(日)
東龍宮の皆さんによる小菅団長追悼式
ホテルを8時30分に出発して屏東へ向かいましたが、日曜日ということもあり、比較的道路も空いており、10時過ぎに東龍宮に到着しました。石羅界堂主をはじめ地元の皆様に出迎えていただき、早速、慰霊式を執り行いました。国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷、富原副団長による献花、原田団長代行の祭文奏上に続いて、7月24日に急逝された小菅亥三郎団長の追悼式を急遽行いました。
東龍宮の皆さんが追悼の横断幕を掲げ、石堂主より通訳を通じて追悼の言葉をいただき、改めて団長の偉大さに思いを馳せました。きっとこの場に田中将軍と共に、団長もおられるだろうと思いました。
東龍宮での慰霊式を終えた一行は、近くの漁港の海鮮レストランで石堂主と共に昼食を摂った後、嘉義の富安宮へと向かいました。
富安宮では林泰平村長をはじめ多くの地元の方々に出迎えていただきました。早速、慰霊式を斎行し、義愛公、森川清次郎巡査の御霊の平安を祈って黙祷を捧げ、原田団長代行が祭文を奏上しました。また、林泰平村長からは涙ながらに小菅団長への追悼の言葉をいただき、目頭が熱くなりました。地元の皆様との歓談の後、爆竹の音と多くの皆様に見送られながら次の講古伯聨誼協會主催の歓迎夕食会場へと向かいました。
日台の魂の交流継続のために設立された講古伯聨誼協會
高速道路の渋滞で、予定より1時間程度遅れ、到着した時はすっかり日も暮れていました。周囲は暗闇に包まれていましたが、その中にテントが張られ、明るい一角があり、一行を手を振って大勢の方が待っておられました。
到着すると、羅水連會長ほか地元の皆様が多数待ち構えておられ、全員が記帳を済ませ、自宅の一部を改造した記念館で数々の展示品を見学した後、テント張りの会場へ案内され、羅會長が挨拶に立たれましたが、感激のあまり言葉が出ず、参加者の感動を誘いました。
開宴すると、会場に設けられた特設ステージで地元の子供たちが元気に歌やダンスを披露して下さり、この子供たちが交流の跡を継いでくれたらご英霊や戦友会の方々のご遺志を継承してくれるだろうと、それを願わずにはおられませんでした。會長の息子さん自らの手作りの料理をいただきながら、遠い昔の田舎の祭り事や行事の記憶が蘇り、タイムスリップしたような気分に陥りました。素朴でまごころのこもった歓待に名残りを惜しみつつ、翌日の慰霊祭での再会を期して、会場を後にしました。
(文責:原田和典)