第21次 帰朝報告
期間:令和元年11月22日(金)~11月26日(火)
参加者:75名
11月23日(土)
八田與一技師の生涯を偲び慰霊式
ホテルで少し早めの朝食を摂った後、8時21分台北発の台湾高速鉄道(新幹線)で台南まで南下しました。台南駅で専用バスに乗り換え、2日目の最初の訪問先である烏山頭水庫へ向かいました。約1時間程度バスで移動し、先ず八田與一・外代樹ご夫妻の墓所に着きました。不毛の地であった嘉南平野を烏山頭ダムと灌漑用水路の整備によって豊饒な農地に変えた八田技師と奥さんが眠る墓地の前で慰霊式を行いました。国旗敬礼、国歌斉唱に続いて、ご夫妻に黙祷を捧げ、団員の木下修さんの献花の後、日本から持参したお線香を全員で手向けてご冥福をお祈りしました。
その後、小高い丘の上に建立されている殉工碑で献花式を斎行しました。ダム建設工事の期間中に亡くなった従業員とその家族134名の名前が日本人、台湾人、男女の区別なく死亡順に碑に刻まれており、台湾人も日本人も平等に弔うという八田技師の信念が感じられます。黙祷の後、福田章枝班長が献花され、八田技師の偉業を讃える挨拶で献花式を終えました。
烏山頭水庫を見たことがない団員も多かったので、バスでダム堤の上に登り全景を見ましたが、想像していた見慣れたダムと異なり、堤防で囲まれた湖のようなダムの姿(セミハイドロリックフィル工法)に多くの団員が驚いていました。湖畔のレストランで昼食をいただいた後、ダム建設工事当時の八田技師の宿舎を含む日本家屋が復元、展示されている八田與一記念公園を散策して、技師の生涯を偲びました。
烏山頭ダムを後にして一行が向かったのは飛虎将軍廟です。大東亜戦争の台南空中戦で散華された杉浦茂峰海軍少尉を祀る廟で、第1次訪問以来、毎年訪問している所です。管理委員会の会長が不在のため、いつものように顧問の郭秋燕さんが出迎えて下さいました。国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷、献花に続いて原田団長代行が祭文を奏上し、最後に田口団長代行と郭さんの挨拶で慰霊式を閉式しました。
驚きの1300人での歓迎交歓会
飛虎将軍廟の次に訪れたのは、高雄の保安堂です。廟に着くと、びっくり仰天しました。昨年は保安堂の前庭に20卓を超えるテーブルが並べられての大歓迎でしたが、今年はそれに加えて前の道路を封鎖して130卓のテーブルを道路沿いに配置しての大祭でした。沖縄縣護國神社の加治順人宮司も祭事を執り行われた後で、思わぬ再会に驚きました。廟の前が空いた合間を縫って、例年通り慰霊式を斎行しました。国旗敬礼、国歌斉唱、38號艦艇「蓬」の高田又男艦長以下145名の鎮魂の黙祷、中山雄夫団員による献花に続いて原田団長代行が祝詞を奏上して慰霊式を執り収めました。
テーブルに戻ると次々と神饌が供えられ、それが終わるといよいよ開宴となりました。廟正面の広場には大きな特設ステージが設けられ、軽妙な口調で司会がイベントを紹介していきましたが、最初に台湾台日海交会の林余立前会長(92歳)や許華杞氏(85歳)らの「海ゆかば」の熱唱があり、台湾は高齢者を大切にする風習がまだ残っていると感じました。総統選が近いこともあり、総統府の陳菊秘書長(前高雄市長)が挨拶され、擁立候補者への支持を訴えていました。その他、日本舞踊や空手、剣道などの演武などが披露され、最後に慰霊訪問団の原田・田口両団長代行が紹介され、原田団長代行が仕舞を見事に舞われ、ステージは終了しました。
地元の方々を交え、各テーブルで、ご英霊共々飲食・歓談が続きましたが、到着してから約3時間に亘る歓待も21時40分にはお開きとなり、宿泊先の福華大飯店で深い眠りに就きました。
なお、この日の慰霊訪問団の慰霊式の模様は、台湾の新聞で大きく報道されました。
(文責:原田和典)