第14次 帰朝報告
期間:平成24年11月22日(木)~11月26日(月)
参加者:38名
11月25日(日)
軍人勅諭の「信義」を基調にした祭文に感銘
乙日程グループが加わって38名となった一行は、慰霊訪問の最大の目的である「原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者大慰霊祭」に参列するため宝覚寺を訪れました。先ず境内の一隅にある日本人遺骨安置所(日本人墓地)前に整列し、1万4千余柱を慰霊するために慰霊式を斎行しました。お墓の周囲を簡単に清掃し、お酒と果物をお供えした後、国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷、献花に続いて2人ずつお線香を上げて、ご冥福をお祈りしました。墓地のまわりに大勢の日本人観光客がおられたので声をかけると、100人近い人がお線香を上げて下さり、御霊もさぞかし喜ばれたことと思います。
その後「慰安故郷」の碑の前に移動し、慰霊祭に臨みました。以前は海原会等の戦友会の皆さんが多く参列されていましたが、その姿は殆んどなく、訪問団が最大の団体になってしまいました。遺族の方々も高齢化が進んでおり、若い世代への継承が喫緊の課題だとの思いがますます強まっています。
主宰者を代表して簡会長が挨拶をされた後、ご遺族に続いて小菅団長が祭文を奏上しましたが、軍人勅諭の「信義」を基調とした内容は、参列者の多くに深い感動と感銘を与え、心に響き渡りました。
慰霊祭が終わると、台湾の皆さんを交えて記念写真を撮り、黄金色の大仏様が鎮座する境内を散策した後、歓迎昼食会迄の小一時間、近くにある孔子廟を見学しました。見学を終えて昼食会場に着くと、中日海交協会の胡順來会長をはじめ会員の皆様が待っておられ、開始時刻まで談笑して旧交を温めました。歓迎会は胡会長の歓迎の辞、小菅団長の答礼の挨拶、交流協会台北事務所の尾形誠氏の来賓挨拶、森先生の「海ゆかば」独唱、原田泰宏副団長の「鶴亀」の仕舞、木村秀人副団長の乾杯と進み、賑やかな祝宴となりました。あちこちで歌声が響き、アコーディオンの演奏もあってしばし時の経つのも忘れてしまいました。丁度隣の会場では結婚披露宴が催されていて、お互いに大いに盛り上がったところで、お開きとなりました。
濟化宮で黄文雄先生と合流
台日海交協会の皆さんと別れた後、バスは台湾の靖國神社・濟化宮を目指しました。幹線道路から山道に入ってしばらく走ると、濟化宮に到着しましたが、そこで毎年6月に台湾特別講演会で、ご講演をしていただいている黄文雄先生が待っておられました。先生とは台中市の昼食会場で合流する予定でしたが、うまく連絡がつかず、新幹線の新竹駅からタクシーで駆けつけて下さったそうです。
濟化宮の謝鏡清董事長の案内で本殿まで行き参拝をしましたが、昨年に続き、ここで永田昌己常任顧問の奥様のタマミ様が朗々と「九段の桜」を吟詠されました。本殿に響き渡る声が心に沁み入り、散華された英霊もさぞかしお喜びになられただろうと思いました。その後、靖國神社から分祀された4万余柱の霊璽を拝見させていただき、社務所の前でいつものお餅とお茶を美味しくいただきました。
謝董事長をはじめ職員の皆さんに見送られ出発した専用バスは、新幹線の新竹駅へと向かいました。例年は濟化宮から台北市内へはバスで移動してきましたが、いつも台北市内で渋滞に巻き込まれて時間が読めないこともあり、今回は新竹駅から台北駅まで新幹線を利用することにしました。新竹駅を18時28分に出発した列車は定刻19時には台北駅に到着し、台日文化經濟協会主催の歓迎夕食会会場に時間通り着くことができました。
親密さを深める台日文化經濟協会
会場の海覇王では黄天麟会長以下役員の方々が既に待っておられ、1年振りの再会を喜び合いました。黄会長の歓迎の挨拶、小菅団長の答礼の挨拶の後、永石辰郎名誉顧問の乾杯で開宴となり、台北市内でも有名な海鮮料理に舌鼓を打ちました。日曜日にもかかわらず私共の行程に合わせて歓迎会を催していただいたことに心から感謝すると共に、今後益々友好の絆を強固なものにしてゆかねばとの思いを新たにしました。
来年の再会を約して台日文化經濟協会の皆さんと別れた一行は、宿泊先の三徳大飯店にチェックインした後、足裏マッサージ組や夜市見学組に分かれて台湾最後の夜を満喫しました。夜市見学組は有名な士林夜市に繰り出し、大勢の人で賑わう露路を小一時間程そぞろ歩きして、台湾のパワーをいただいて帰りました。
(文責:原田和典)