第15次 祭文
『日華(台)親善友好慰霊訪問団を代表し、原台湾人元日本兵軍人軍属三万三千余柱の御霊の御前にて謹んで祭文を奏上いたします。』
『抑々世界各国が各々其の所を得、相倚り相扶けて萬邦共栄の楽を偕にするは世界平和確立の根本要義なり 然るに米英は自国の繁栄の為には他国家、他民族を抑圧し、特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ、大東亜隷属化の野望を逞しうし、遂には大東亜の安定を根底より覆さんとせり。大東亜戦争の原因ここに存す 大東亜各国は相提携して大東亜戦争を完遂し、大東亜を米英の桎梏より解放して、其の自存自衛を全うし、左の綱領に基き大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す
一、大東亜各国は協同して大東亜の安定を確保し、道義に基く共存共栄の秩序を建設す
一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ、大東亜各国の親和を確立す
一、大東亜各国は相互に其の博統を尊重し、各民族の創造性を伸張し、大東亜の文化を昂揚す
一、大東亜各国は互恵の下緊密に提携し、其の経済発展を図り、大東亜の繁栄を増進す
一、大東亜各国は萬邦との交誼を篤うし、人種的差別を撤廃し、普く文化を交流し、進んで資源を開放して以て世界の進運に貢献す』
これは今を遡ること70年前の今月6日、すなわち昭和18年11月6日に東京で開催された大東亜会議において採択された共同宣言です。
わが国・日本は昭和16年12月8日、マレー半島コタバル上陸で開始された大東亜戦争で、東アジアに展開された欧米列強による植民地支配を悉く覆しました。以降約2年に亙る軍事的勝利を踏まえ、わが国は「民族解放・民族自決の大号令」を発しました。中華民國(王精衛)、タイ(ワンワイタヤコン)、満州國(張景恵)、フィリピン(ラウエル)、ビルマ(バー・モウ)、自由印度仮政府(チャンドラ・ボーズ)と、実に軍政下にあったインドネシアを除くすべてのアジアの人々がこの理念のもとに結集したのです。
平成25年の今日、70年前のこの宣言を顧みるに、その時代的先見性はもとより、政治的公明性や道徳的高みにおいてもアジア史を変えるにふさわしい金字塔でした。今日のアジア情勢を俯瞰するに、先の大戦の契機となった「米英」を「支那・中共」と置きかえて見れば尚更わかりやすいのではないでしょうか。
かつてわが国は欧米列強の重圧を撥ね退け、近代国家として自立すべく、明治維新を成し遂げました。その中で明治天皇は、慶応4年に「五箇条の御誓文」を布告、明治15年に「軍人勅諭」を下賜、明治22年に「大日本帝國憲法」を発布、そして明治23年に「教育勅語」を渙発されました。当時では常備軍と近代法、そして国民教育制度を具備した形としては、わが国は有色人種唯一の国家だったのです。その明治の先達が朝鮮半島の自立を賭けた戦いである日清戦争で勝利したが故に、台湾はわが国に割譲されたのです。
爾来、日台両民族の渾身の努力により、台湾はわが国でも有数の慈愛溢れる豊かな地域となりました。それは、欧米諸国の羨望の的となり、朝鮮半島や支那大陸における満州國と同様、国家建設のお手本とされるまでになりました。とりわけ台湾の皆様は「信義」を理解し、私たち日本人と接する中で、武徳の資質を瞬く間に習得されたのです。
本日私たちは台湾の国づくりに全力を奮われただけでなく、大東亜宣言の完遂にむけて血書嘆願までされ、応召され、わが国・日本の国軍兵士として、また軍属として命を楯に決然起って散華された同胞を供養するため、はるばる日本からやって参りました。
元日本兵軍人軍属として世界史を変革する表舞台に立たれ、戦没された原台湾人の皆様、私たちは平成11年以来、宝覚寺における大慰霊祭に参列させていただき、3万3千余柱の御霊の安らかならんことをお祈りしてまいりました。今後も、この顕彰事業を風化させることなく、更に充実・拡大し若い世代に継承していきます。それはこの道こそが「日本人として散華された英霊」にお応えする務めであるからです。
以上の決意も新たにわが国の近代史に比類なき勇気と献身を刻まれた英霊のご遺徳を偲び、御霊の平安を心より祈念し、慰霊の言葉といたします。
日台の生命の絆 死守せむと
吾 日本の一角に起つ
平成25年11月25日
民國102年
皇紀2673年
日華(台)親善友好慰霊訪問団
団長 小菅 亥三郎