第21次 祭文

『日華(台)親善友好慰霊訪問団を代表し、原台湾人元日本兵軍人軍属三万三千余柱の御霊の御前にて謹んで祭文を奏上いたします。』

『清國ハ左記ノ土地ノ主権並ヒニ該地方ニ在ル、城塁、兵器製造所及官有物ヲ永遠日本國ニ割與ス
一、遼東半島
一、台湾全島及其ノ附属諸島嶼
一、澎湖列島』(「日清講和条約第二条」より)

明治28年4月17日、下関の春帆樓における日清講和会議の結果、台湾は日本に割譲されました。明治四年の牡丹社事件の際、日本側全権副島種臣に対し、清国皇帝をして「化外の地」と言わしめた台湾が名実ともに日本に帰属した瞬間です。爾来、120年に及ぶ日台関係はこの時をもって起点とするが、台湾の歩みは華夷秩序から限りなく離脱する軌跡を描いて今日に至っています。

日清戦争によって朝鮮を支那の冊封体制から解き放ったわが国にとって、時代こそ違え、欧米白色人種の圧政に呻吟するアジアをその鉄鎖の軛から解放せんと開始した大東亜戦争は、いわば歴史の必然ともいえるものでした。今、英霊として眠っておられる皆様は、南海の島々や熱帯の密林においては白人圧政者と、また支那大陸においては蒋介石率いる重慶政権や毛沢東の共産匪賊と生死を賭けて戦った同胞でした。とりわけ700倍ともいわれる難関を突破し、血書歎願をしてまで志願してこられた皆様は、日本人以上の日本人として歴史に残る勇猛果敢さを発揮され、敵を圧倒し悩ませたのであります。

昭和20年、陛下は3年と9ヶ月に亘る大東亜戦争の終戦を宣言しましたが、わが国は国家の尊厳と民族の名誉を死守し、大東亜解放の壮図を成し遂げました。とまれ、わが国が軍事的敗北を余儀なくされたとはいえ、四百年以上に及ぶ欧米列強の植民地支配に終止符をうち、アジアにおける全ての権益を失わせしめたのは紛れもない世界史的事実であります。

これを偉業といわずして一体何と呼べばいいのでしょうか。陛下の臣民として東洋平和のために共に血と汗を流した者同士の兄弟感・一体感はかくして形成されたのであります。台湾の皆様が50年間の日本統治時代の伝統や文化、はては「大和魂」を高く評価し、これを日本精神として継承している世界に類を見ない親日的な国家・国民である由縁はここに淵源があるのです。

50年に及ぶ日本統治が今日に至るまで脈々と生き続ける台湾。この「生命の絆」を守り育て後に続く人に正しく継承していくことが、先達から託された崇高な使命です。それは今日の私たち日本人に民族としての自覚と誇りを高めてゆく契機になるからです。

さて今年7月、私たちは訪問団の柱である小菅亥三郎団長を突然喪いました。9月には「小菅亥三郎先生を語る会」を開催し330名もの皆様とともに団長のご功績を顕彰させていただきました。今上陛下の御即位、中華民國(台湾)福岡総領事館開設50年、「死んだなら、台湾に埋葬せよ」との言葉を遺された明石元二郎台湾総督没後100年を記念する年に、日台交流の歴史をひも解き、大東亜戦争終戦74四年を総括する形で語られた小菅団長のお言葉を、私たちは両国の近未来を照らす指針として定着させていく所存です。

平成11年以来、私達は宝覚寺における「原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者大慰霊祭」に参列させていただき、三万三千余柱の御霊の安らかならんことをお祈りしてまいりました。今年は慰霊訪問団の新しい20年のスタートとなる年です。今後も、この顕彰事業を風化させることなく、更に充実・拡大し、「日台の魂の交流事業」として次世代に継承していきます。それはこの道こそが「日本人として散華された英霊」にお応えする務めであるからです。

以上の決意も新たに、わが国の近代史に比類なき勇気と献身を刻まれた英霊のご遺徳を偲び、御霊の平安を心より祈念し、慰霊の言葉といたします。

日台の生命の絆 死守せむと
吾 日本の一角に起つ

令和元年11月25日
民國108年
皇紀2679年

日華(台)親善友好慰霊訪問団
団長代行 原田 泰宏

祭文の系譜

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