第13次 祭文

『日華(台)親善友好慰霊訪問団を代表し、原台湾人元日本兵軍人軍属三万三千余柱の御霊の御前にて謹んで祭文を奏上いたします。』

『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』
(「教育勅語」より)

これは明治23年の教育勅語の一節であります。この中で明治天皇は欧米列強の軍事的重圧をはね返し、維新日本を守り、世界に伍して建国していく御意志と、これを担うべく国民のあるべき姿をお示しになられました。

さて今年・平成23年3月11日、私たちは1000年に一度ともいわれる超弩級の大地震とそれに続く大津波に見舞われました。後に東日本大震災と命名された天災ですが、わが国にとってこれ以上に不幸なことは、時の政府が拉致実行犯と限りなく深い関係をもつ人物を首班とする内閣であったことです。半島や支那大陸に心の故郷(ふるさと)をおき、わが国を反日・嫌日・侮日活動を展開する恰好の舞台としか考えない彼らの無責任極まりない対応は二重、三重の人災として被災地を襲いました。

自らの無能・無策ぶりには一顧だにせず、諸悪の根源は東京電力を始めとする電力会社と、国策として推進してきた原子力発電であるといわんばかりのすり替え行為は、被災地の人々を戸惑わせ、その心を弄んだ結果、広範な国民の離反をひきおこすにいたりました。

それにひきかえ、10万人規模に及ぶ自衛隊の決死の救出活動や米海軍第7艦隊の総力を挙げたトモダチ作戦を一方の軸とすれば、それと対をなすかのように、被害にあわれた方々の辛抱強くも公(おおやけ)を第一に考え行動する生き方や相互扶助、譲り合いの精神、「渇すれども盗泉の水を飲まず」の公徳心の高さは世界中の人々に限りない勇気と感動を与えました。国内外を問わず善意の洪水は枚挙に暇がありませんが、その中でも200億円を優に超える義捐金に象徴されるように物心両面で惜しみないご支援をして下さった台湾は群を抜いています。

しかし、このような国・台湾が最も身近にあり続けてきたということを一体今日の日本人のうち何人が知っていたでしょうか。反日の合唱団に加わらず、たとえ負けても日本人でいたかったと悔しがる台湾、東京裁判史観の汚濁に塗(まみ)れずわが国の戦死者をますます手厚く遇してくれる台湾、わが国近代史のテーブルマウンテンたる地位を確固として築いてくれた台湾、「日本人がアジア人に謝罪すべきは、大東亜戦争に負けたことだ」と温かく叱咤する台湾、そういう国であり、国民であるからこそ世界も驚嘆するほどの援助をして下さったのです。

皆様方にとって、50年間に及ぶ日本統治とは清国の言う「化外の地」からの脱却と克服であり、歴史の創世であり、他ならぬ台湾人の誕生そのものでした。皆様にとって父なる日本、母なる日本、そして帰るべき国・日本、わが国がそのような故郷、実家、生家のような存在であるからこそ、この度の大震災で身を引き裂かれるような思いになられたのではないでしょうか。それゆえにこそ、かつてわが国の国民として東洋平和のために共に血と汗を流した者同志の兄弟感・一体感が時空を超えていかんなく発揮・発揚されたのです。

私たちは、この度の大震災の対応で示された『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉スル』台湾の皆様の勲と誠心に応えるためにも積極的に家族交流・兄弟交流を深め、その紐帯を今まで以上に強固なものにしていきます。そして台湾の皆様と共に『天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼』していきます。

平成11年以来、私たちは宝覚寺における「原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者大慰霊祭」に参列させていただき、3万3千余柱の御霊の安らかならんことをお祈りしてまいりました。今後も、この顕彰事業を風化させることなく、更に充実・拡大し若い世代に継承していきます。それはこの道こそが「日本人として散華された御英霊」にお応えする務めであるからです。

以上の決意も新たにわが国の近代史に稀有なる勇気と献身を刻まれたご英霊のご遺徳を偲び、御霊の平安を心より祈念し、慰霊の言葉といたします。

日台の生命の絆 死守せむと
吾 日本の一角に起つ

平成23年11月25日
民國100年
皇紀2671年

日華(台)親善友好慰霊訪問団
団長 小菅 亥三郎

祭文の系譜

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