第12次 祭文

『日華(台)親善友好慰霊訪問団を代表し、原台湾人元日本兵軍人軍属三万三千余柱の御霊の御前にて謹んで祭文を奏上いたします。』

『凡生ヲ我國ニ稟クルモノ誰カハ國ニ報ユルノ心ナカルヘキ』(「軍人勅諭」より )
 『爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ』(「教育勅語」より)

これは明治15年の軍人勅諭と同23年の教育勅語の一節であります。この中で明治天皇は、阿片戦争の勝利に酔う欧米列強の重圧をはね返し、新生日本を守り、世界に伍して建国していく御意志と、これを担うべく国民のあるべき姿をお示しになられました。

このような中で明治28年、台湾の皆様は日本人になりました。日清戦争に敗れた当時の宗主國・清が「鳥もさえずらない、木々には花も咲かない」といってこの台湾を「化外の地」と切り捨て、わが国・日本に永久に割譲したからであります。

爾来、日台両民族の渾身の努力により、わが国でも有数の豊かで慈愛溢れる地となった台湾は、欧米諸国の羨望の的となり、支那大陸における満州國と同様に、国家建設のお手本とされるまでになりました。これは軍人勅諭として収斂されたわが国の武徳の伝統と教育勅語に凝縮された民族共同体の理念を台湾の皆様が真心をもって受け止め、漲る意気と使命感をもって体現されたからに他なりません。

しかるに、昭和16年12月8日未明の大東亜戦争勃発により台湾の運命は大きく変わりました。今、御英霊として眠っておられる皆様は、南海の島々や熱帯の密林においてコミンテルン(国際共産主義運動)の陰謀に組み込まれた欧米列強と、また支那大陸においては蒋介石他率いる軍閥政権や共産匪賊と呼ばれたボルシェビキと生死を賭けて戦った同胞でした。とりわけ700倍ともいわれる難関を突破し、血書歎願をしてまで志願してこられた皆様は、日本人以上の日本人として歴史に残る勇猛果敢さを発揮され、敵を圧倒し悩ませたのであります。

国家・国民の総力を挙げた3年と9ヶ月にわたる戦いにより、わが国は国家の尊厳と民族の名誉を死守し、大東亜解放の壮図を成し遂げました。とまれ、わが国が軍事的敗北を余儀なくされたとはいえ、400年以上に及ぶ欧米列強の植民地支配に終止符をうち、アジアにおける全ての権益を失わせしめたのは紛れもない世界史的事実であります。

これを偉業といわずして一体何と呼べばいいのでしょうか。わが国の国民として東洋平和のために共に血と汗を流した者同士の兄弟感・一体感はかくして形成されました。台湾の皆様が50年間の日本統治時代の伝統や文化、はては「大和魂」を高く評価し、これを日本精神として継承している世界に類を見ない親日的な国家・国民である由縁はここに淵源があるのです。

私達は、この様な台湾の皆様の勲と誠心に応えるためにも積極的に家族交流・兄弟交流を深め、その紐帯を今まで以上に強固なものにしていきます。それは今日の私達日本人に民族としての自覚と誇りを高めてゆく契機になると同時に戦後一貫して仕掛けられている情報戦に勝ち抜き、日米のみならず日台の分断工作に余念のない中共の攻撃を破砕する強力な桿になるからです。

平成11年以来、私達は宝覚寺における「原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者大慰霊祭」に参列させていただき、3万3千余柱の御霊の安らかならんことをお祈りしてまいりました。今後も、この顕彰事業を風化させることなく、更に充実・拡大し、若い次世代に継承してゆくことが、「日本人として散華された御英霊」にお応えする私達の務めであると考えております。

以上の決意も新たに、わが国の近代史に類稀なる勇気と献身を刻まれた御英霊の御遺徳を偲び、御霊の平安を心より祈念し、慰霊の言葉といたします。

日台の生命の絆 死守せむと
吾 日本の一角に起つ

平成22年11月25日
民國99年
皇紀2670年

日華(台)親善友好慰霊訪問団
団長 小菅 亥三郎

祭文の系譜

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