第14次 祭文

『日華(台)親善友好慰霊訪問団を代表し、原台湾人元日本兵軍人軍属三万三千余柱の御霊の御前にて謹んで祭文を奏上いたします。』

『軍人ハ信義ヲ重ンスへシ凡信義ヲ守ルコト常ノ道二ハアレトワキテ軍人ハ信義ナクテハ一日モ隊伍ノ中ニ交リテアランコト難カルへシ信トハ己ガ言ヲ踐行ヒ義トハ己カ分ヲ盡スヲイフナリ』
(「軍人勅諭」より)

これは明治15年の軍人勅諭の一節です。この中で明治天皇は欧米列強の重圧をはね返し、新生日本を守るため、世界に伍して建国していく御意志を明らかにされました。そのため建軍間もない「大伴・物部ノ兵」にその守るべき訓誡を五箇条に亘ってお示しになりました。中でも「信義」は、単一の意志に従って行動する武装せる共同体である軍隊にとっては、必要欠くべからざる徳目であります。同じ国民とはいえ、人と人とが目的と使命を共有し、御国のために命を賭して任務を遂行するには、血を分けた兄弟以上の信頼関係が構築されなければなりません。わが国の軍隊はことの外この「信義」を重んじ、数々の国難に立ち向かってきました。朝鮮半島の自立を賭けて戦われた日清戦争しかり、実に軍人勅諭によって勝利したと言っても過言ではありません。その結果、当時の宗主国・清は「鳥もさえずらない、木々には花も咲かない」といって、この台湾を「化外の地」と切り捨て、わが国・日本に永久に割譲しました。

爾来、日台両民族の渾身の努力により、台湾はわが国でも有数の慈愛溢れる豊かな地域となりました。それは、欧米諸国の羨望の的となり、朝鮮半島や支那大陸における満州国と同様、国家建設のお手本とされるまでになりました。とりわけ台湾の皆様は「信義」を理解し、私たち日本人と接する中で、武徳の資質を瞬く間に修得されたのです。そのような中、昭和16年12月8日未明、マレー半島コタバル上陸で開始された大東亜戦争により台湾の運命は大きく変わりました。今、英霊として眠っておられる皆様は、わが国・日本の国軍兵士として、たったひとつしかない命を楯に、欧米列強によるアジア支配を覆すべく、決然起って散華された、かけがえのない同胞です。

国家・国民の総力を挙げた3年9ヶ月にわたる戦いの結果、わが国は外国軍隊の占領という有史以来、初めての屈辱を味わいましたが、アジアにおける欧米宗主国の植民地支配は永久に潰えたのです。この戦略的勝利を偉業といわずして一体何と呼べばいいのでしょうか。わが国の国民として東洋平和のために共に血と汗を流した兄弟感・一体感はかくして形成されました。台湾の皆様が50年間に及ぶ日本統治時代の伝統や文化、はては「大和魂」を高く評価し、日本精神として継承している、世界に類を見ない親日的な国家・国民である所以はここに淵源があるのです。

私たちは、昨年の東日本大震災の対応で示された物心両面にわたる世界一のご支援を決して忘れません。また、一党独裁の覇権国家・中共による、尖閣を搦めた反日の呼びかけにも拘わらず、微動だにしない国民性に敬意を表します。時代こそ違え、今を遡ること93年前の大正8年、韓国における「万歳事件」発生時も、今回と同様「馬耳東風の態度で極めて冷静平穏」に対応されたのが他ならぬ台湾の皆様でした。私たちはこのような誠心に応えるためにも積極的に家族交流・兄弟交流を深め、その紐帯を今まで以上に強固なものにしていきます。

平成11年以来、私たちは宝覚寺における「原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者大慰霊祭」に参列させていただき、3万3千余柱の御霊の安らかならんことをお祈りしてまいりました。今後も、この顕彰事業を風化させることなく、更に充実・拡大し若い世代に継承していきます。それはこの道こそが「日本人として散華されたご英霊」にお応えする務めであるからです。

以上の決意も新たにわが国の近代史に比類なき勇気と献身を刻まれたご英霊のご遺徳を偲び、御霊の平安を心より祈念し、慰霊の言葉といたします。

日台の生命の絆 死守せむと
吾 日本の一角に起つ

平成24年11月25日
民國101年
皇紀2672年

日華(台)親善友好慰霊訪問団
団長 小菅 亥三郎

祭文の系譜

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