第18次 祭文
『日華(台)親善友好慰霊訪問団を代表し、原台湾人元日本兵軍人軍属三万三千余柱の御霊の御前にて謹んで祭文を奏上いたします。』
『清國ハ左記ノ土地ノ主権並ヒニ該地方ニ在ル、城塁、兵器製造所及官有物ヲ永遠日本國ニ割與ス
一、遼東半島
一、台湾全島及其ノ附属諸島嶼
一、澎湖列島』
(「日清講和条約第二条」より)
英霊の皆様への言葉ゆえ、先ずその歴史からひも解かせていただきます。
明治28年4月17日、下関の春帆樓における日清講和談判の結果、台湾はわが国に割譲されました。明治4年の牡丹社事件の後、明治6年清国に赴いた日本側全権副島種臣に対し、清国皇帝同治帝をして「化外の地」と言わしめた台湾が名実ともにわが国に帰属した瞬間です。爾来、121年に及ぶ日台関係はこの時をもって起点としますが、台湾の歩みは華夷秩序から限りなく遠ざかる軌跡を描いて今日に至っています。
日清戦争によって支那の冊封体制から朝鮮を離脱させたわが国にとって、後年欧米白色人種の圧政に呻吟するアジアをその鉄鎖の軛から解放せんとした大東亜戦争は、いわば歴史の必然でした。今、英霊として眠っておられる皆様は、南海の島々や熱帯の密林で白人圧政者の軍隊と、また支那大陸で蒋介石率いる重慶軍や毛沢東の共産匪賊と生死を賭けて戦った同胞でした。とりわけ700倍ともいわれる難関を突破し、血書歎願をしてまで志願してこられた皆様は、日本人以上の日本人として歴史に残る勇猛果敢さを発揮され、敵を圧倒し悩ませました。
国家国民の総力を挙げた3年と9ヶ月に亘る戦いにもかかわらずわが国は敗れましたが、国体を護り、大東亜解放の壮図を成し遂げました。とまれ、わが国が軍事的敗北を余儀なくされたとはいえ、400年以上に及ぶ欧米列強の植民地支配に終止符をうち、アジアにおける全ての権益を失わせしめ、結果、民族自決の潮流を澎湃として巻き起こしたのは紛れもない世界史的事実です。
これを偉業といわずして一体何と呼べばいいのでしょうか。陛下の臣民として東洋平和のために共に血と汗を流した同志的兄弟感・一体感はかくして形成されました。台湾の皆様が50年間の日本統治時代の伝統や文化、はては「大和魂」を高く評価し、これらを「日本精神」として継承している世界に類を見ない親日的な国家・国民である由縁はここに淵源があります。
半世紀に及ぶ日本統治が戦後71年の今日に至るまで脈々と生き続ける台湾。この「生命の絆」を守り育て後に続く人に正しく継承していくことが、先達から託された崇高な使命です。それは今日の私たち日本人が民族としての自覚に目覚め誇りを高めてゆく契機になるからです。
さて、私たちは昨年日台両国の近未来を照らす指針として「福岡宣言」を採択しましたが、慰霊訪問団は「維新」の荒海に船出する現代の台湾人の良き共鳴板でありたいと念願いたします。
平成11年以来、私達は宝覚寺における「原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者大慰霊祭」に参列させていただき、3万3千余柱の御霊の安らかならんことをお祈りしてまいりました。今後も、この顕彰事業を風化させることなく、更に充実・拡大し、「日台の魂の交流事業」として次世代に継承していきます。それはこの道こそが「日本人として散華された英霊」にお応えする務めであるからです。
以上の決意も新たに、わが国の近代史に比類なき勇気と献身を刻まれた英霊のご遺徳を偲び、御霊の平安を心より祈念し、慰霊の言葉といたします。
日台の生命の絆 死守せむと
吾 日本の一角に起つ
平成28年11月25日
民國105年
皇紀2676年
日華(台)親善友好慰霊訪問団
団長 小菅 亥三郎