原臺歩兵第二聯隊本部/兵舎跡/原臺南衛戍病院

エピソード - 原台湾歩兵第2連隊本部 兵舎跡 原台南衛戍病院

原台湾歩兵第2連隊本部 兵舎跡

台湾には第1歩兵連隊(台北)と第2歩兵連隊(台南)が置かれていた。台南の第2歩兵連隊は、かつて清の時代に練兵所があった場所に大日本帝國陸軍が衛戍地として建設したもので、全部で3棟の建物が残され横1列に並んでいる。アーチと列柱を組み合わせた古代ローマ様式の建物である。陸軍の建物はこれまでレンガ造りが主流だったが、ここは実験的に鉄筋コンクリートが採用されている。戦後、中華民國国軍が接収し利用したが、昭和41年(1966)に成功大学に移管され、現在も校舎として使われている。

大成館(明治44年築)は第2連隊の司令部であった。歴史系館は本部長官と幕僚の事務室で大成館と似た外観を持つ。これら2つの建物は湿気を防ぐため土台の上にあり、湿度の高い台湾に対応して通風孔が設けられている。周囲には回廊があり、正面入り口の柱廊玄関下は古代ローマ様式である。内部は一文字型の平面を採用し、長方形の建物の中央に1本の廊下が通っており、左右に部屋が分けられている。現在は教授の部屋等に割り当てられているようだ。廊下には日本統治時代の古地図など歴史的資料が展示されている。

礼賢楼は集会所として使われていた建物で、玄関の大きなアーチが特徴的で、建物の傷みは少し大きいように見える。なお、この建物は昭和43年(1968)に修繕され、行政センターとして使われ、孔子の名前から「大成館」と改称された。

原台南衛戍病院

台南衛戍病院とは、大日本帝國陸軍の医療施設である。当初は赤嵌楼の建物を使っていたらしいが、大正6年(1917)に、ここに移転した。すぐ南の光復校区は、陸軍第2連隊本部であり、そこの軍医がここで務めていた。昭和12年(1937)に台南陸軍病院と改称された。現在、管理室など7棟が残っており、1つの衛戍病院でこれだけ多くの施設が残っているのは国内では例がない。また国内では見られないアーケードがあり、熱帯気候に適応した建物が特色である。屋根の一部には小さな換気塔があり、床は鉄筋コンクリ-トで研磨石の床表面材で、大規模な換気を行なうため窓は上下開放型である。

戦後、昭和23年(1948)に國民党軍はここを接収し、昭和25年(1950)に「陸軍最高司令官軍事病院」、昭和29年(1954)には「陸軍病院」となった。その後、平成12年(2000)に病院は国立成功大学に組み込まれ、現在は医学部系のキャンパスとなっている。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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