昭和天皇(裕仁皇太子)御手植え紀念樹

エピソード - 昭和天皇お手植えのガジュマル

成功大学に生まれ変わった台湾歩兵第2連隊

台湾の志願兵たちは、台南にある台湾歩兵第2連隊に入隊した。その営庭には、昭和天皇が摂政の宮の時、行啓せられてお手植えされた榕樹(ガジュマル)がある。大正12年(1923)4月21日のことである。やがて終戦を迎えて、第二連隊は成功大学に生れ変わった。

しかし、ガジュマルの樹は変わることなく成長を続けた。96年を経てガジュマルは大きく枝を広げ、今や戦友会の心のきずなとなり、成功大学のシンボルともなっている。

垂れ下がる 木の根に触れし そのときに 先帝陛下の み手を思ふ

この木をば 密かに残せる人々の 心思ひて しばしたたずむ

台湾総督は、初代樺山資紀から第7代の明石元二郎まで、すべて軍人出身の武官だったが、官僚出身の文官としては、摂政の宮のご訪問を実現させた田健治郎が8代目にして初めての総督となった。

田総督は徹底した同化政策を打ち出し、ついに摂政の宮の台湾ご訪問を実現するのであるが、当時、この案には政府内でも強い反対があった。もし、万一、不測の事態が発生して陛下の身に及ぶようなことにでもなれば、田総督の辞職くらいではとても済むことではない。それが故、田自身も割腹の覚悟をしていたようである。それにしても、明治28年(1895)の領台からまだ28年しか経っておらず、その治安の維持にはよほどの自信があったのであろう。

大正12年(1923)4月中旬、皇太子裕仁親王殿下(後の昭和天皇)は、摂政の宮として、12日間、台湾をご訪問された。

4月12日(木)、横須賀港をお召艦の軍艦「金剛」でご出発、「比叡」「霧島」の供奉艦に前後を衛られて4月16日に基隆港着、車と列車と船に乗られて台北、台中、台南、高雄、澎湖島と巡り、再び基隆に戻って帰路につかれたのは4月27日のことで、東宮仮御所へお帰りになられたのは5月1日だった。全20日間、台湾だけで11泊12日の長旅だった。

この期間、台湾全島で盛大な祝賀行事が催され、その数232ヶ所にも及んでいる。なお、このご訪問には伏見宮博義王殿下が随行されている。

ちなみに摂政の宮は、この前々年の大正10年(1921)3月3日から9月3日まで半年間にわたり、お召艦「香取」で欧州5ヵ国を訪問され、翌年6月、久邇宮良子女王殿下とのご婚約を発表されている。ご訪台当時、満21歳、若々しく英気満ち溢れる摂政の宮を初めて迎えることができた台湾の熱誠あふれる歓迎ぶりも容易に想像がつくのである。

皇太子殿下(昭和天皇)「台湾行啓」日程

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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