中華民國総統府

エピソード - 中華民國の政治の中枢・総統府

台湾総督府と朝鮮総督府

台北駅(車站)から南へ1キロ、「台北新公園」の西側に、中華民國の政治の中枢・総統府がある。この「総統府」は日本時代「台湾総督府」と呼ばれ、明治45年(1912)に着工し、大正8年(1919)3月に完成した。地上5階、地下1階、中央塔の高さは60メートル。戦時中に戦災を受けたが、戦後は内部を改造し、「総統府」として現在も使われている。全体がルネッサンス風の赤煉瓦造りで、正面玄関には着剣した衛兵が四六時中、立っている。総統府前は古城門のひとつである東門(景福門)に通ずる道がそのまま広場になっている。この広場で毎年、新年祝賀や双十節のような国家的行事が盛大に催される。

一方、韓国のソウル(旧・京城)に「朝鮮総督府」が竣工したのは、台湾総督府に遅れること7年の大正15年(1926)であった。

台湾の場合は全体が朱色だが、朝鮮総督府は白の大理石と花崗岩で造られた白亜の5階建てで、当時としては、世界に誇る建造物であった。日本敗戦後は駐留米軍庁舎となり、その後、韓国政府の「中央庁」として使われ昭和53年(1983)からは「国立中央博物館」となっていた。ところが、その後この建物の撤去運動が起こった。これは朝鮮王朝の正門である光化門と、正殿である勤政殿を断ち切るように建てられていたからである。これこそ「日帝36年のシンボル」であり、屈辱であるとして、平成7年(1995)8月15日を期して撤去が始まった。

それに対して台湾では旧総督府建物がそのまま使われており、日本時代の建物は台北市のみならず各地に現在も多く残っている。同じ平成7年(1995) 7月には、台北市はこの建物を政府が管理・保存の責任を負う国宝級の「第1級古蹟」に挙げ、政府に申請した。韓国が「日帝36年」というなら台湾は「日帝50年」である。しかし、台湾では「帝国主義」とか「植民地主義」などという左翼イデオロギー用語は使わない。これらの言葉には確定した定義がないから誤解を生む。台湾の人々は「日本領台50年」とか「日本時代」という人が多い。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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