臺灣無名戦士紀念碑

エピソード - 台湾無名戦士記念碑

許昭栄氏と台湾無名戦士記念碑

大東亜戦争で日本兵として戦死した台湾兵士はおよそ3万3千人、靖国神社に合祀されている。しかし、国共内戦で國民党に徴兵され、戦死した台湾兵士はおよそ1万2千人である。

昭和27年(1952)に結ばれた日華平和条約において、日本は台湾における領土権を放棄し、中華民國(台湾)は日本に対する賠償を放棄した。台湾籍日本兵は大東亜戦争中は日本兵として戦ったが、日本軍人が受けた補償が受けられなかった。条約で日本国籍と補償を受ける権利を失った。台湾人は台湾のために戦ったのではない。日本のために戦い、更に不本意ながら國民党に徴兵されて国共内戦で戦ったのである。しかし、日本はこの事実を認め、靖國神社に合祀したのに反し、國民党政府は台湾兵戦没者の存在すら認めようとしなかった。許昭栄氏は國民党の迫害に耐えながら、国共の大陸戦争に巻き込まれた台湾人の生存者及び戦死者を探していた。

許氏が国府に抗議を続け、ようやく平成7年(1995)に1万2千柱の英霊を台北の忠烈祠に合祀したが、國民党は儀式を非公開にして写真さえ撮らせなかった。このため許氏は台湾人戦没兵士のため、高雄市に用地を請求し、旗津半島にあった未開発地を市政府から譲り受け、そこに「魂鎮故士」の慰霊碑および「台湾無名戦士記念碑」を私財を投じて独力で建立した。

ところが蒋系中国人の市議会議員は政府が整地の費用を出す機会に許氏の業績を抹殺し、中国人の記念碑にしてしまう卑劣な手段をとったのである。つまり「戦争と平和記念公園」から戦争の2字を除去し、「平和記念公園」とすると決議したのである。蒋系中国人は戦争の2文字を入れれば中国の反発を買うから戦争を除去し、そこに「八二三戦没者慰霊碑」を建てると説明した。「八二三戦没者慰霊碑」は完全に中国人同志の戦いであり、この方が中国を刺激するはずである。

戦争は台湾人の本意ではなかったのに戦争に駆り出されて戦死者を出した。それ故に「戦争と平和記念公園」と命名したのである。中国人は台湾人の苦心して作った公園を勝手に中国人のために改名して、その上に「八二三戦没者慰霊碑」を建立するという、つまり市政府が金を出すから台湾人の公園を中国人の公園にしてしまえ、と言うわけである。これは到底受け入れることができない。中国人の理不尽に対する抗議の焼身自殺の真相はこれである。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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