高雄市政府

エピソード - 高雄市政府 ~ 人口約280万人の台湾第二の都市

台湾随一の工業都市

高雄は17世紀の打狗(ターカウ)という小さな村がその後発展した、台湾南部を代表する都市だ。ターカウとは平埔族マカタウ族の集落タアカウ社の名称に由来し、「竹林」を意味する。

1624年にオランダはこの場所に砦を築いたが、1661年に鄭成功によって駆逐され、1664年に萬年州が設置された。1684年清の統治が開始され、台湾府の一部として鳳山県が設けられ、県治が興隆荘(現・左営)に設けられた。1858年の天津条約で清は台湾島に複数の開港地を設けることを約束させられ、そのひとつである打狗港は1864年に開港し、以後外国貿易で栄えはじめた。

明治28年(1895)に下関条約により台湾が日本に割譲されると、日本政府は海軍の南方方面での補給港を確保すべく打狗開発をはじめた。地名に関しては大正9年(1920)9月の地方制度実施で「打狗」という文字が卑俗であると、台湾総督府により打狗と発音の近い内地の名所である高雄(たかお)に改称された。

昭和20年(1945)、日本の降伏後、高雄市は省轄地とされ台湾省に帰属した。昭和41年(1966)から楠梓区において加工輸出区が開業し、以後、加工貿易の工業団地や重化学工業のコンビナートが集積する台湾随一の工業都市となった。昭和54年(1979)7月1日、行政院は高雄市を直轄市に昇格させることを決定、高雄県小港郷を統合した。平成22年(2010)12月25日には高雄県を合併し、市としては最も広い直轄市となった。

また、高雄市は外省人の多い台北に対して本省人が多く、野党的色彩や台湾人としてのアイデンティティへの志向が強く、民主進歩党など泛緑連盟の勢力の地盤ともなっている。

慰霊団にとって高雄市は第二の故郷

高雄市は慰霊訪問団にとっては大変重要な地である。①許國雄先生との出会いにより小菅団長が慰霊訪問の旅を決意した地であり、②日本海軍の軍艦と艦長を御神体とする保安堂が台湾海峡のシーレーンを守っている地であり、③慰霊訪問団の台湾支部誕生の地でもあるからだ。いわば私たちにとっては第二の故郷といっても過言でない。そのような理由から、第16次台湾慰霊訪問の旅では高雄市政府を表敬訪問している。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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