臺南武徳殿

エピソード - 台南武徳殿

日本の伝統的社殿様式

旧台南武徳殿は日本統治時代の昭和11年(1936)に大日本武徳会が、武道を広めるために台南に設立した道場である。武士道精紳は日本人ならではのものと言われており、武徳殿は日本の武士道を学べる場所だった。当初は台南大正公園(現在の湯徳章記念公園)の東側に建設されていたが、台南孔子廟横に現在の台南武徳殿が開かれた。この武道館は台湾に現存する武徳殿の中では比較的大きく、代表的なもので大東亜戦争後、台南市立中学と忠義小学校の講堂になり、平成10年(1998)に市の古跡に指定された。

台南武徳殿は、鉄筋コンクリートと人造石洗い出し仕上げで造られているが、日本の伝統的な社殿様式である。建物は南向きの2階建て、正面入り口は2階にあり、階段を上がって入ることになる。日本統治時代、武徳殿の1階には関連事務所があり、両端にも入り口があった。2階西側が武道場、東側が剣道場、北側に突き出た部分は祭壇として使われており、屋外には弓道場もあった。

「武徳殿」はもとは、平安時代の大内裏の殿舎の1つで、競馬などを鑑賞するために使われた場所であり、右近衛府と右兵衛府の間を貫き、殷富門に面していた。

今日の武徳殿は日本の警察組織が源である。最初は稽古場所として作られ、後に都市や学校にも広がっていった。武術は治安を維持する警察にとって非常に重要であったため、日本の武士道精神の推進を目的に明治28年(1895)に京都で「大日本武徳会」が設立された。その後、日本統治時代の台湾を含めた日本全国各地に武道館が設置され、これら武道館が一般的に「武徳殿」と呼ばれるようになった。

日本統治時代、日本の警察は台湾に武道の文化を導入した。当時の台湾の公務員や警察、学生は積極的に武道を学び、武士道精紳を発揚していったのである。

現在、台湾に残る武徳殿は台南武徳殿、彰化武徳殿、高雄武徳殿振武館、旗山武徳殿などがあり、特に台南武徳殿は高く評価されている。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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