新化國民小學御眞影奉安殿

エピソード - 新化國民小學御眞影奉安殿

奉安殿と教育勅語

台南市新化区東榮里和平街の新化國民小學にある御眞影奉安殿は、台湾でも僅かに現存する奉安殿のひとつである。漆の扉には鳳凰の蒔絵がほどこされ、格調高いものであり、保存状態も非常に良い。

奉安殿とは、天皇皇后両陛下の写真(御眞影)と教育勅語を納めていた建物である。御眞影の下賜が始まった時期は、教育勅語が制定された後の明治末期から大正にかけてであり、奉安殿の成立時期もその頃と推測される。四大節(紀元節、天長節、明治節、元旦・四方節)祝賀の式典では、全校生徒に向けて校長が教育勅語を厳粛に読み上げ、その写しは御眞影とともに奉安殿に納められて、丁重に扱われた。

当初は講堂や職員室・校長室内部に奉安所が設けられていたが、校舎火災や地震などによる校舎倒壊の際などに御眞影が危険に晒される可能性が高く、実際に関東大震災や空襲、校舎火災の際に御眞影を守ろうとして殉職された校長の話が美談として残っている。このため、内部の奉安所は金庫型に改められ、また独立した「奉安殿」の建築が進められた。校舎一体型は旧制中学などに多く、独立型は小学校に多く見られた(小学校の奉安殿建築は昭和10年頃に活発化)。

わが国では明治5年(1872)に学制が発布され、教育の普及が始まったが、それは同時に当時の先覚者によって欧米の思想や学術が次々と翻訳輸入されることでもあった。海外の事情の把握や文明水準の向上には多大な貢献がある一方、欧化主義が流行し、国民固有の精神が揺らぎ、伝統的な美風が崩れていった。明治19年(1886)に東京帝國大学を行幸された明治天皇も、最高の学府において人倫道徳の教育が不十分であることを憂慮され、紀元2550年にあたる明治23年(1890)、国民精神の帰趨すべきところを「教育ニ關スル勅語」としてお示しになられた。

教育勅語は、明治天皇が国民に語りかける形式をとり、歴代天皇が国家と道徳を確立したと語り起こし、国民の忠孝心が「国体の精華」であり「教育の淵源」であると規定する。続いて孝行、友愛、夫婦の和、朋友の信、謙遜、博愛、修業習学、智能啓発、徳器成就、公益世務、遵法、義勇等の12の徳目(道徳)が明記され、これを守るのが国民の伝統であるとしている。以上を歴代天皇の遺した教えと位置づけ、国民とともに明治天皇自らこれを守るために努力したいと誓って締め括る。わが国の伝統的な道徳観を天皇を介する形でまとめたのが教育勅語である。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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