臺中市政府

エピソード - 台中市政府 ~ 人口約278万人の台湾第2の都市

台湾中部の経済・文化の中心地

台中の起源は日本統治前の1705年に遡る。嘉義に駐留していた台湾北路営参、将張国により南屯一帯が水資源に恵まれた肥沃な土地であることから開墾が開始された。そのため、台中には屯の付く地名が現在も多く残っている。

日本統治時代には、清代のインフラ遺産を継承し、鉄道や港湾等の海運の整備を行い、周辺との交流を発展させ、市内も碁盤目状の道路整備を推進し、政治のみならず台湾中部の経済・文化の中心地としての近代都市の地位を獲得していった。平成22年(2010)12月、台中県と台中市を合併し、中華民國の直轄市となった。人口278万人の台湾第2の都市の誕生である。台中という名前は日本統治時代に付けられ、当時は静かで、綺麗で京都のようだったと言う。

第13次訪問では東日本大震災の復興支援への感謝と中華民國建國100年のお祝いを目的に、台中市政府を表敬訪問した。新築されて間もない庁舎は銀色に輝き、市政府のトップや外国からの要人を迎える会議室で破格の待遇を受け、蔡炳坤副市長と会談。副市長は「台湾中部の大地震の際に日本の救助隊が一番最初に駆けつけてくれたことを台湾の人は忘れておらず、東日本大震災のニュースが入るや、台中市民が義捐活動を開始すると、雨の降りしきる中、僅か2時間で800万円が集まった」と報告された。小菅団長は「大震災に対する世界一の援助の淵源は、50年にわたる日本統治時代の先人の努力にあり、日本と台湾は地下水脈で繋がった兄弟国である」と答礼の挨拶を述べ、持参した「復興支援感謝」の手拭いを贈呈した。

1時間あまりの表敬訪問を終え蔡副市長を囲み「ありがとう台湾 慶祝中華民國建國100年」の横断幕を掲げ記念写真を撮ってイルミネーションに飾られた幻想的な市庁舎を後にした次第である。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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