海尾朝皇宮

エピソード - 海尾朝皇宮 ~ 保生大帝と杉浦茂峰

海尾朝皇宮「保生大帝」は実際の人物

台南市安南区海中街にある「朝皇宮」は、明治11年(1878)の創建。昭和50年(1975)に現在の廟が完成した。台南市北部、海尾と呼ばれる地域の鎮守であり、中国民間信仰の神である「保生大帝」を祀る。鎮安堂飛虎将軍廟創建に関して「村に出没する亡霊は戦死した軍人である」とお告げをした神である。

「保生大帝」は北宋時代を生きた実在の人物で、福建省出身の本名・呉本(979~1076)という名医であった。幼少より聡明で科挙に合格、その後、隠遁し市井に混じり、その医術で多くの人を救った。そのため、医療、薬学、保健衛生の神であり、長寿、健康、病気平癒にご利益があるとされている。

台湾の漢民族は元々、海峡を挟んだすぐ隣の福建地方からの移民が多く、本所において信仰されていた神々を台湾へ移し祀った。「保生大帝」もそのひとつであった。更に、移住先の台湾は、風土病、疫病が多く発生し、名医であった保生大帝は病を治し、退ける神として切実に信仰され、今も台湾では人気の高い神様である。

面白いのは、飛虎将軍廟の杉浦茂峰少尉も、彼のことを告げた保生大帝もともに実在の人物だということ。道教、民間信仰の世界では生前に尊敬されたり、名を成した人物は、神として祀られ昇天し最高神玉皇上帝を頂点とした神様の世界に入り、その組織の中で活動する存在となる。この海尾朝皇宮の保生大帝は杉浦茂峰少尉を「指名」した形となり、保生大帝は杉浦茂峰少尉の先輩、上司といった形になる。

杉浦茂峰少尉の鎮安堂飛虎将軍廟もこの海尾朝皇宮の管理下で、日本でいえば末寺的な位置にある。中国の1100年前の名医と、日本の70年前に戦死した軍人が台湾で、その地を守り慕われる先輩、後輩の神様としてお祀りされているのである。何とも面白いことではないか…。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

お問い合わせお問合せ